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レムリアンシードについて


レムリアンシードクリスタルは、ロシアやブラジルで産出されていましたが、今は、どちらも採掘しつくし、手に入れるのが非常に困難となっている水晶です。別名シンギングクリスタルとも言われ、石同士を軽くぶつけると、高くて綺麗な音がします。

ブラジルの採掘場では、土中に埋まっている形でレムリアンシードは見つかります。 水晶は通常クラスターとして発見されますが、レムリアンはまるで誰かが置いて行ったかのように単結晶(ポイント)で見つかるそうです。最初に発見されたレムリアンシードは、水晶の洞窟の中の砂の上にきれいに並べられていたと言われています。

レムリアンという名が示すとおり、このクリスタルは、失われた大陸とされるレムリア大陸と深いつながりを持ち、古代レムリア人がクリスタルという形に転生したもの、レムリア人の意識存在が変容して結晶化したものではないかと言われています。レムリアン文明は、非常に精神的文化の発達した、調和のとれた文明だったと言われ、ムー文明やアトランティス文明のもっと前に栄えたとされています。


かつてレムリア大陸があったとされる場所

水晶のポイント表面部分にバーコードのような縞模様(レムリアンリッジ)や、三角形の模様(レコードキーパー)が浮き出ている水晶で、これは古代レムリア人のメッセージであるとされています。ですが、レムリアンリッジの直線的な印象から、レムリア人の記憶というよりもアトランティスと関係があるのではないかと考える専門家もおり、その辺の真実は不明ですが、古代の情報を刻み込んだ水晶であるということは、多くのヒーラーや専門家で意見が一致しています。


レムリア人のメッセージと言われているレムリアンリッジ

レムリアンは、1999年から2000年始めに発見されました。それは偶然ではなく必然的に、この時代に何かしらのメッセージを伝えようと現れたのではないかと言われています。


レムリアンシードの効果
【古代の叡智を封じ込めた水晶】【インスピレーションとエネルギーを高める】【自己と社会と宇宙を繋ぐ】【ひらめき力を高める】【瞑想の助け】【高次の意識と繋がる】【潜在能力開花】


レムリアンシードの浄化
セージ 月光 水晶 流水 太陽光 

水晶は、水を好む石です。透き通った海や湧き水など自然の清水にさらすと透明感が増すといいます。
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【論文要約】『貨幣の名目制:表券主義の貨幣理論』~なぜMMTは「新表券主義」ともよばれるのか?

【論文要約】『貨幣の名目制:表券主義の貨幣理論』~なぜMMTは「新表券主義」ともよばれるのか?
2019年03月26日(火) 12時00分00秒
テーマ:経済思想


 今回は内藤敦之先生の論文『貨幣の名目制:表券主義の貨幣理論』の紹介をします。

 この論文はMMT(現代貨幣論)の論文として面白いのですが、ネット上で公開されるまで2年かかるとのこと。MMTはここ最近、アメリカでの大論争が日本にも波及し、大手メディアに取り上げられたり、日銀総裁への質問や国会での麻生大臣への質問に登場するなど、今が「旬」です。

 公開されるまで2年も待っていられない、やるなら今でしょ、ということでこの論文を要約して紹介していきたいと思います。



貨幣の名目性
貨幣とはなにかという問いには、教科書的には3つの機能に説明されています。

すなわち、「交換手段」「価値貯蔵手段」「計算単位」です。

このうちのどれを本質として見做すかは、学派によって異なります。



「交換手段」を重視 :新古典派、オーストリー学派

「価値貯蔵手段」を重視:ケインジアン、ポスト・ケインジアン

「計算単位」を重視   :内生的貨幣供給論ないし信用貨幣論、表券主義



名目主義(計算貨幣とは)
 計数単位としての貨幣、すなわち計算貨幣は円、ドル、ユーロのように名称が定められています。

また、実態としての貨幣も、貴金属、商品貨幣、紙幣、預金通貨のように様々です。そのような意味で貨幣は名目的な存在であり、計算貨幣を重視する立場を名目主義と呼びます。

 ホートリーは貨幣の定義を「負債を支払う手段」としています。表券主義は「税の支払手段」としていますが、租税は国家が指定する一種の負債なので、実質的には両者の定義は同じです。実際の支払手段である実態としての貨幣は、任意に恣意的に決定されます。国家が指定する、あるいは社会に認められる限りは何でも良いのです。

 また、計算貨幣はそもそも負債の表示単位ですが価格の表示単位としても使われます。取引される財/サービスや租税の形で信用/債務が発生し、その大きさを示す単位として計算貨幣が導入されます。

名目主義と金属主義
 貨幣本質論において、名目主義と金属主義(あるいは商品貨幣説)は対立する立場になっています。

 金属主義(あるいは商品貨幣説)は交換手段としての貨幣を重視しています。

金属主義は、貨幣と貴金属の実物的な価値との関係を重視する立場で、商品貨幣説の一種です。

商品貨幣説は、貨幣が商品から進化して成立するという主張です。商品が貨幣に進化する際に、受領性の高い貴金属のような実物的な価値があるものが貨幣として選択される、と論じられます。

新古典派の議論においては、いわゆる欲望の二重一致を解決する手段として説明されます。

 これに対して名目主義は、貨幣の価値を、貨幣の実物的な価値とのつながりを否定し名目的なものとして扱うため、金属主義と名目主義は対立することになります。



 この対立は(貨幣本質論だけでなく)貨幣理論全体に及んでいます。

 商品貨幣説では、貨幣と商品の類似性が強調されるため、貨幣自体の価値が商品と同じく需要と供給によって決定されるという貨幣数量説と結びつきます。貨幣数量説は信用貨幣論とは相容れない説です。実際に商品貨幣説では(銀行預金のように現在の貨幣の大部分を占める)信用貨幣の説明が困難で、最終的には貨幣を実体経済に影響を及ぼさない中立的なものとしています。



信用貨幣論と表券主義の違い
 信用貨幣論と表券主義は、名目主義(計算貨幣を重視)という点で共通していますが、貨幣をどのように捉えるかと言う点で違いが存在します。

 表券主義では、計算単位を国家が指定することによって計算貨幣が生み出されます。これは国家が課す「税の支払手段」としての貨幣の指定でもあります。どちらにせよ、国家が指定できるという点で名目的です。この意味で表券主義は国家貨幣説とも呼ばれます。
 このようなl国家貨幣は、国家が財やサービスを購入する(財政政策)ことで供給されます。このとき、財やサービスの売り手が国家貨幣を受け取るのは、それが税の支払い手段にもなるからです。このことが国家貨幣が市場に流通する根拠になります。

 他方、信用貨幣論では貨幣を「負債の支払手段」として定義しています。これは貨幣が物々交換から出発するのではなく、二者間の取引で信用/債務の関係から生まれてきたというものです。
ホートリーによれば、財/サービスの取引を行う時、同時に交換するのでなければ信用取引になります。
こういった二者間の取引は無数に行われており、信用/債務の関係も無数に存在します。ここで信用/債務を相殺する、あるいは決済する必要が生じますが、相殺、決済のためには共通の表示単位が必要になります。ここで必要となる負債の表示単位あるいは計算単位が計算貨幣です。
 負債の決済をより円滑に行うには、受領性の高い第三者の負債が必要になります。この第三者は通常は銀行です。銀行による負債の発行は、財/サービスの購入ではなく銀行貸出によって、銀行預金という銀行の負債が発行されます。この銀行預金は借り手が他者と取引を行う際に受領され、貨幣として通用します。こういった銀行預金は預金通貨あるいは信用貨幣と呼ばれることになります。

以上のように、計算貨幣(名目主義)は信用貨幣論と表券主義に共通していますが、具体的な貨幣のあり方については異なった議論をしています。

新表券主義の展開
 表券主義はクナップやミッチェル・イネス、ケインズによって展開されましたが、第二次大戦後は忘れ去られていました。しかし1990年台後半に、L.ランダル・レイによって「新表券主義」として復活を遂げます。
(筆者注:復活の経緯は前回の記事が参考になります。)

新表券主義のマクロ経済理論
 この「新表券主義」では信用貨幣論と表券主義が統合されています。
 信用貨幣は銀行預金ですが、多くの国家で税の支払手段として認められています。つまり信用貨幣も国家貨幣になっています。また、信用貨幣論も表券主義も、貨幣供給が内生的であるという点は同じです。表券主義において貨幣供給が内生的であるというのは、以下の式で表せます。
Sを民間貯蓄、Iを民間投資、Gを政府支出、Iを租税収入、NXを純輸出あるいは貿易収支の黒子とすると
 S-I = (G-T)+NX
と表せます。この数式の意味は、左辺の民間貯蓄超過が右辺の財政赤字+貿易収支黒字と等しいということになります。閉鎖経済では民間貯蓄超過はすなわち、民間部門の純貯蓄=財政赤字となります。民間部門の貯蓄性向が高い場合は、海外への輸出によって帳尻を合わせない限りは、政府部門の赤字が必要になります。

 表券主義における中央銀行は信用貨幣論における中央銀行と異なった側面を持ちます。
第一に、表券主義における中央銀行は政府の銀行としての役割を果たします。
第二に、中央銀行は金融政策を短期利子率の制御によって行います。(この点は信用貨幣論でも同じ)
短期利子率の制御には、国債を使った公開準備操作によって調整を行っています。
 財政出動を行うと民間部民において投資や消費が増大し、その代金は銀行に還流して超過準備になります。超過準備を放置するとインターバンク市場で利子率が下がるため、利子率を維持するには国債の売りオペを行い過剰な資金を吸収します。逆に利子率が上昇する場合、国債の買いオペによって貨幣を供給します。超低金利の場合に非常に大規模な買いオペを行うのが量的緩和政策です。

 ここで国債についても検討しています。新表券主義においては、国債は上述したように金融政策の手段として重要ですが、国債は論理的には必ずしも必要ではありません。政府は民間と異なり、事前のファイナンスを必要とせず、国債を発行せずに政府支出を行えるからです。そのため国債は政府の資金調達のためではなく、金融市場において別の意義が存在します。
 国債の意義は、まず最も信用性の高い債権だということです。次に、金融政策手段、すなわち公開市場操作の対象として重要です。中央銀行が利子率の水準を決めるための重要な手段になっています。
さらに国債には利子がある信用性の高い債権なので、民間部門が保有するメリットがあります。
また、レイ曰く「閉鎖経済においては、純金融資産の唯一の源泉は政府である」。すなわち、国債は民間部門にとっての外部資産となります。

表券主義と信用貨幣論
 信用貨幣論では中央銀行は銀行間の決済を行う機関として存在しています。また、決済の時に銀行の資金が不足する場合には銀行に貸出を行ったり、場合によっては金融システム全体にに波及するのを防ぐために貸出を行う「最後の貸し手」として振る舞うときも存在します。
 信用貨幣は需要に応じて銀行が供給するものとなりますが、これは中央銀行にとっても同じであり、銀行の借り入れ需要に応じて中央銀行が準備を供給します。そのため、中央銀行が直接に準備量、あるいは預金通貨の量を制御することは困難で、通常は短期利子率によって間接的に制御しています。

 国家貨幣と信用貨幣は異なる起源を持ちますが、等しい価値を持ちます(計数単位が共通)。
 また、マクロ経済においてはどちらも貨幣の循環として描かれます。
信用貨幣論における循環は、企業が投資のための資金を銀行から借り入れることによって預金が創造され、その預金が支出されることによって始まります。最終的には企業は商品の売上から銀行預金を銀行に返済し、返済された銀行預金が消滅するという循環が生まれます。
 他方、表券主義における循環は「租税が貨幣を駆動する」過程として描かれます。すなわち、国家が財政出動によって財/サービスを購入するところから始まり、最終的には租税を支払うという循環です。

 現実にはこの2つの循環は一定の関係で併存しています。その点を明らかにしたのが「貨幣のヒエラルキー」または「負債のピラミッド」です。これは多くの階層が存在しますが、ここでは三階層に単純化します。最下層に銀行以外の主体が発行する負債が存在しまします。二番目の階層は信用貨幣あるいは銀行預金です。最上位の階層は中央銀行が供給する準備、あるいは中央銀行預金です。
 最下層の負債の決済はより信用度の高い第三者の第二階層の銀行預金によって行われ、第二階層の銀行間の決済はより信用度の高い第三者の最上位の階層の中央銀行の負債によって行われます。
 こうしたピラミッドの特徴は、レイ曰く「第一にピラミッドにおいて高い階層で発行された負債は一般により受領性が高いというヒエラルキー的配置が存在する。・・・・・・・第二にそれぞれの階層の負債は一般により高い階層の負債をレバレッジする」。すなわち、低い階層の負債のほうが量的に上の階層よりも多くなります。
 信用貨幣論では論理的には中央銀行は政府の一部である必要はありませんが、貨幣のヒエラルキーにおいては最も信用力のある主体として国家の負債を用いることになり、中央銀行は政府の一部に統合されます。

 信用貨幣論では、中央銀行は自身の負債となる準備の供給と、最後の貸し手としての機能があります。表券主義では、政府の銀行との役割を果たしています。この2つは全く矛盾せず、補完的な機能となっているだけでなく、信用力の高い第三者の負債としての国家の負債を提供するという点で、中央銀行は政府の一部になっています。金融政策についても短期利子率の操作という点では共通しています。

新表券主義の応用
最後に、新表券主義の応用として、①ユーロ危機と②雇用保障政策(JGP/ELR)を取り上げています。

①ユーロ危機
 ユーロはユーロ採用国全てにとって外国通貨となり、金融政策がユーロ圏共通となります。そのため、一国の経済状態に合わせた金融政策が行えないだけでなく、財政政策は協定によって緊縮政策を強要され、景気刺激策として使えません。国債が発行可能でも、民間引受になるため、市場の評価で利子率が変化してしまいます。
 すなわち危機を迎えると、緊縮財政により危機からの脱出が容易ではなくなっていまっています。
「ユーロ圏諸国は国家主権と民主的権力の非常に重要な手段を放棄してしまった。どの単一の政府も有効な制御を行えないユーロという外国通貨を本質的に採用してしまった。」のです。
 以上が新表券主義(MMT)によるユーロ危機の分析です。

②雇用保障政策~JGP/ELR
 雇用保障(Job Guarantee)政策、あるいは最後の雇用主(Employer of Last Resort)政策は、全ての失業者を政府が雇用するという政策です。具体的な方法は様々な方法が考えられますが、一般的に提唱されているのは、失業者を法定最低賃金、あるいはそれに近い水準で希望者全てを政府が雇用するというものです。
 表券主義との関係は、表券主義では財政政策が物価水準に影響を及ぼすため(財政赤字の基準は物価水準の動向)、政府が最低賃金を設定しその賃金で失業書を雇用すると、物価全体に影響を及ぼします。
 主流派経済学のNAIRUアプローチはフィリップス曲線(インフレ率と失業率の間の右下がりの関係)を利用して、物価の安定と失業率を制御するものです。雇用保障政策をNAIRUアプローチと比較すると、どちらも物価の安定を達成できますが、雇用保障政策はほぼ完全雇用を達成することができます。


以上、内藤敦之先生の論文『貨幣の名目制:表券主義の貨幣理論』の紹介でした。

(了)

Princes of the Yen: Japan's Central Bankers and the Transformation of the Economy – 2003/5/1

Princes of the Yen: Japan's Central Bankers and the Transformation of the Economy – 2003/5/1 Richard Werner (著)
日本の金融産業システムについてこれまでに書かれた最高の本(そして私は過去40年間に何百も読んだ)
2014年2月11日

私は日本の金融産業システムの専門家であり、ジョン・キャリントンと2冊の本を共同執筆し、さらに2冊執筆しましたが、この本はそのシステムについての私の詳細な知識を数桁エスカレートしました。

これは驚くべき、タイムリーでよく書かれた本です。日本の経済奇跡の根底にある財務省/日本銀行の投資信用創造政策を発表しただけでなく、日銀の投機的な信用創造が原因で日本の資産価格のバブルがどのように発生したかも説明しています。90年代の「失われた10年」がどのように発生したかを説明します。日本銀行を運営する「円の王子」が彼らの手に座り、その長い不況を早期に終わらせたであろう信用を生み出しなかったからです。「プリンセス」は、日銀が「構造改革」の目的を持っていたためにそれを行いました-日本で米国式の雇用と消防を作り、平均と中央値の賃金を下げ、利益を優先しました。民営化と政府支出の削減による福祉の低下-人口の過半数の利益のためではなく、経済を運営するための全体的でうつ病を生み出す新古典主義のレシピ。したがって、本はいくつかの一般的な誤解を修正します。経済学者は、お金は単なる中立的な交換手段ではないことを理解する必要があります。中央銀行による資金の創出は中立的ではないため、投資信用の割り当て、生産的投資と経済成長の刺激、または投機的な信用、中央銀行が不況を終わらせることができる必要な信用の創造を生み出さない可能性を伴って、資産と地価は上昇し、その後の悲惨を生み出す不況を生み出します。この本は、すべての中央銀行は民主的な統制の下で運営する必要があり、独立してはならない、と主張しています。もしそうであれば、彼らは(BoJがしたように)経済を損ない、そしてそこで働くことによって生計を立てるすべての人々に政策を採用し、実践するかもしれないからです。1990年代の日本の成長の失敗は、西側の多くの評論家が推測するように、日本の投資信用創出成長モデルの失敗ではなく、日銀がこれらの政策を強制しようとしたときの西側新古典派経済学の予測可能な失敗でした。嫌がる日本。この本がカバーする追加のトピックはたくさんありますが、簡単なレビューでカバーできるいくつかの見出しを与えるためだけです:この本は、経済を運営するより良い投資信用創造方法を説明します。多くの経済の危機であるブームとバストのサイクルが、中央銀行の投機的な信用の創出を制限することによって、どのように削減できるかを示しています。1990年代の「Look no hands」の信用を低下させる不況の長期化政策について日銀で責任を負う人々の名前を挙げます。現在の経済成長のアジア地域は、戦時中の日本人によって占領され支配された国であり、地元の指導者(主に韓国と台湾)が戦時日本の政権中に成長を加速する投資信用の創出を学んだとき 戦後の日本で採用された経済成長の手順は、満州鉄道会社で働いている間に戦時中に操縦した同じ要員によって実施されたと指摘している。現在の経済成長のアジア地域は、戦時中の日本人によって占領され支配された国であり、地元の指導者(主に韓国と台湾)が戦時日本の政権中に成長を加速する投資信用の創出を学んだとき 戦後の日本で採用された経済成長の手順は、満州鉄道会社で働いている間に戦時中に操縦した同じ要員によって実施されたと指摘している。現在の経済成長のアジア地域は、戦時中の日本人によって占領され支配された国であり、地元の指導者(主に韓国と台湾)が戦時日本の政権中に成長を加速する投資信用の創出を学んだとき 戦後の日本で採用された経済成長の手順は、満州鉄道会社で働いている間に戦時中に操縦した同じ要員によって実施されたと指摘している。

ヴェルナーの観察は、ヨーロッパとアメリカの状況に直接関連しています。ライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)はECBとして生まれ変わり、その信用創造のプロセスは民主的な説明責任と管理の外にあります。ヴェルナーが指摘しているように、ECBがより高い投資、成長、雇用を生み出すために特化された投資信用を生み出すべきであるとき、ヨーロッパの長い不況はECBの低インフレへの執着によって拡大されています。ヴェルナーは、独立したライヒスバンクが1930年代にドイツに大量失業を引き起こしたのは不可能だと主張していた-設備や設備に銀行ローンを投資していた企業はそれでもその目的のために割り当てられたローンを返済しなければならない-破産、大量失業の不可避の結果そして経済能力の破壊。ヴェルナー氏は、中央銀行の独立は適切な政策の実施を保証するものではなく、インフレ抑制だけが経済的目標ではないと主張している。彼は、政治家の失敗が何であれ、彼らは国の経済政策を決定する民主的な権利を有する選出された権威であり、中央銀行の独立はその目的を実現する可能性は低いと結論付けています。戦後のドイツと日本の金融産業システムは大きな経済成長をもたらしました。ヴェルナーは、ドイツ連邦政府が政府からの独立のためではなく、説明責任のないライヒスバンクと比較して独立性が低下したために、どのように成功したかを示しています。議会(Bundestag)とその法律 1967年の安定と成長に関する法律など。銀行の独立性は、同等の結果を生み出していません。アメリカ連邦準備制度も同様に、アラングリーンスパンとその後継者の議会への臨時会談を除いて、民主的な説明責任の対象にはなりません。
何よりも、ウェルナーは比較的最近のグレンジャー因果関係分析の手法を使用して、投資信用の創出がその後の成長のニワトリに先行する予測卵であることを示し、したがって、銀行が生み出した金融がどのように実際の成長を生み出すことができるかについての予測因果関係の計算を提供します投機的な資産バブル。(クライブグレンジャー卿は同僚のロバートイングルとともに、おそらく2つの経済データ間の予測的因果関係の妥当性を検証するグレンジャー因果関係分析の開発により、経済学への貢献に対してノーベル賞を受賞しました)。

この本の著者、リチャードアンドレアスヴェルナーは1991年の下村フェローでしたが、日本人は下村修博士(1910-89)の経済成長理論への多大な貢献と西洋人からの実践を隠蔽するという通常の慣行に従って、どうもヴェルナーに知らせませんでした。下村は誰で、なぜ彼は「日本で戦後最も影響力のある経済学者」だったのか。いずれにせよ-ヴェルナーは自分で力を尽くして問題を解決し、独立して日本の下村モデルと同様の理解に到達し、経済データから帰納的推論によってこれらを生成し、グレンジャー計算を通じてそれらの有効性を実証しました。ヴェルナーの本は、下村治博士の日本経済モデルよりも広範な結果を報告している、下村だけが(唯一?)日銀の投資信用の創出が経済成長をどのように増大させるかを扱っているのに対し、ウェルナーは中央銀行の信用創出の成長が資産バブルの憶測に資金を供給するためにどのように悪用され得るか、そして適切な信用創造の欠如不況は長期にわたる不況を引き起こす可能性があります。ヴェルナーの仕事は、今日の経済状況にもっと関連することができませんでした。

あなたが経済学の学生なら、この本を買ってください。普及している新古典主義の考え方にとらわれた教師や講師は、この本のように関連性のあることを何も語らないでしょう。彼らの自己満足に挑戦します。そして、あなたが経済学の教授であるなら、この本を買って、読んで、そして理解することによって、あなた自身に再び教育を受けさせてください。あなたが公衆の一員であるか、公務員であるか、または経済政策に関心があり、どのように私たちがより繁栄する経済を得ることができるかであるなら、この本を購入してください-それはそれについてあなたに教えます。最後に、あなたが政治家である場合は、この本を読んでください。この本には、現在西側で教えられ、報告され、または実践されているものよりも優れた成長支援ポリシーが含まれています。これらのポリシーとその適用方法について学ぶ必要があります。

非常に優れた本であり、ウェルナーの「マクロ経済学の新しいパラダイム」のカーテンレイザーも同様に優れています。」

The Best Book Ever Written About the Japanese Financial-Industrial System (and I've read hundreds during the last 40 years)
2014年2月11日
I am an expert on the financial-industrial system of Japan, and I have co-authored two books with John Carrington and written another two, but this book escalated my detailed knowledge of that system by several orders of magnitude.

This is an astonishing, timely and well-written book. Not only does it set out the Ministry of Finance/Bank of Japan investment credit creating policies that lie at the root of the Japanese economic miracle, but it also explains how the Japanese asset price bubble happened because of BoJ speculative credit creation. It discusses how the "lost decade" of the 90s occurred because the "Princes of the Yen" running the Bank of Japan sat on their hands and did not create the credit that would have put an early end to that long depression. The "Princes" did that because the BoJ had the objective of "Structural reform" - of creating in Japan a US-style hire and fire economy, lowering average and median wages and prioritising profits, with privatisation and less welfare through reduced government spending - the entire inept and depression-creating neo-classical recipe for running an economy not for the benefit of the majority of its population. The book therefore corrects several prevalent misconceptions. Economists need to understand that money is not just a neutral medium of exchange, for the creation of money by the central bank is not neutral, it can be earmarked investment credit, stimulating productive investment and economic growth, or it can be speculative credit, forcing asset and land prices up and creating a subsequent misery-creating recession, with the possibility of the central bank not creating the necessary credit creation that can end depressions. This book argues that all central banks need to operate under democratic control and should not be independent, because if they are, they may (as the BoJ did) adopt and practise policies to the detriment of the economy and to all those who make their living by working in it. The failure of Japan's growth during the 1990s was not, as many western commentators assume, the failure of the Japanese investment-credit-creating growth model, but the predictable failure of Western neo-classical economics when the BoJ tried to force these policies upon an unwilling Japan. The additional topics that this book covers are many, but just to give a few headlines that can be covered in a brief review: this book illustrates a better investment-credit-creating method of running an economy; shows how the boom-and-bust cycle which is the blight of many economies could be reduced by limiting the central bank's credit creation for speculation; names the names of those responsible at the BoJ for the "Look no hands" credit-reducing depression-lengthening policies of the 1990s; indicates that the current AsIan zone of high economic growth are the countries which were occupied and controlled by the Japanese during the war, when the local leaders (mainly in South Korea and Taiwan) learned growth-accelerating investment credit creation during the wartime Japanese administration; and points out that the economic growth procedures adopted in post-war Japan were implemented by the same personnel who had piloted them during wartime while working in the Manchurian Railway Company.

Werner’s observations have a direct relevance to the European and American contexts. The Reichsbank has been reborn as the ECB and its processes of credit creation are outside democratic accountability and control. Europe’s long recession is being extended by the ECB’s obsession with low inflation when, as Werner points out, the ECB should be creating earmarked investment credit to produce higher investment, growth and employment. Werner observes that the independent Reichsbank previously caused the mass unemployment in 1930s Germany by insisting on the impossible - that firms which had invested bank loans in plant and equipment should nonetheless repay the loans earmarked for that purpose - with the inevitable result of bankruptcies, mass unemployment and the destruction of economic capacity. Werner argues that the independence of the central bank is no guarantee of their practice of appropriate policies and that inflation control is not the only economic objective. He concludes that whatever the failures of politicians, they are the elected authority which have the democratic right to determine the country’s economic policy, and central bank independence is unlikely to deliver that objective, because adequate investment credit has never been created by an independent central bank. The post-war German-Japanese financial-industrial systems created great economic growth.Werner shows how the Bundesbank was successful not because of its independence from the government, but because of its reduced independence compared to the unaccountable Reichsbank: the Bundesbank was made accountable to parliament (Bundestag) and its legislation, such as the stability and growth law of 1967. Bank independence has not produced comparable results. The American Federal Reserve is similarly not subject to any democratic accountability except for Alan Greenspan's and his successors' occasional talks to Congress
Above all, Werner uses the relatively recent technique of Granger Causality analysis to show that investment credit creation is the predictive egg that precedes the subsequent chickens of growth, and thus provides calculations of the predictive causality about how bank-generated finance can create real growth or speculative asset bubbles. (Sir Clive Granger, along with his colleague Robert Engle, was awarded a Nobel Prize for contributions to economics, perhaps for his development of Granger Causality Analysis, which tests the validity of predictive causative links between two items of economic data).

The author of this book - Richard Andreas Werner - was the first 1991 Shimomura Fellow but the Japanese, following their usual practice of concealing Dr Osamu Shimomura's (1910-89) great contribution to economic growth theory and practice from Westerners, apparently did not tell Werner who Shimomura was and why he was "Japan's most influential post-war economist." No matter - Werner has competently worked things out for himself, independently arriving at understandings similar to the Shimomura model of Japan, and producing these by inductive reasoning from the economic data and demonstrating their validity through the Granger calculations. Werner's book reports upon more extensive results than Dr Osamu Shimomura's model of the Japanese economy does, because Shimomura only (only?) deals with how BoJ investment credit creation increases economic growth while Werner also points out how growth in central bank credit creation can be misused to fund the speculation of an asset bubble, and how the lack of appropriate credit creation following a recession can create a long lasting depression. Werner's work could not be more relevant to today's economic circumstances.

If you are a student of economics, buy this book. Your teachers and lecturers, trapped in the prevalent neo-classical mindset, are unlikely to tell you anything as relevant as this book will. Challenge their complacency. And if you are a Professor of Economics, get yourself re-educated by buying, reading and understanding this book. If you are a member of the public or a civil servant or anyone interested in economic policy and how we could have a more flourishing economy, buy this book - it tells you about that. Finally, if you are a politician, please read this book, for it contains better growth-assisting policies than any being currently taught, reported upon, or practised in the West, and you should learn about these and how to to apply them.

A truly great book and a curtain-raiser for Werner's "New Paradigm in Macro-Economics" which is equally excellent."

日本銀行が国債の引受けを行わないのはなぜですか?

日本銀行が国債の引受けを行わないのはなぜですか?
教えて!にちぎん
回答
日本銀行における国債の引受けは、財政法第5条により、原則として禁止されています(これを「国債の市中消化の原則」と言います)。

これは、中央銀行がいったん国債の引受けによって政府への資金供与を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛からなくなり、悪性のインフレーションを引き起こすおそれがあるからです。そうなると、その国の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われてしまいます。これは長い歴史から得られた貴重な経験であり、わが国だけでなく先進各国で中央銀行による国債引受けが制度的に禁止されているのもこのためです。

ただし、日本銀行では、金融調節の結果として保有している国債のうち、償還期限が到来したものについては、財政法第5条ただし書きの規定に基づいて、国会の議決を経た金額の範囲内に限って、国による借換えに応じています。こうした国による借換えのための国債の引受けは、予め年度ごとに政策委員会の決定を経て行っています。

財政法第5条:
すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

中世音楽研究の皆川達夫氏 古楽の普及・伝道に尽くす

中世音楽研究の皆川達夫氏 古楽の普及・伝道に尽くす
2020/5/22 2:00
4月19日に92歳で死去した中世・ルネサンス音楽研究の皆川達夫氏は16世紀後半、キリスト教布教のため日本に伝わった聖歌や、長崎の隠れキリシタンに歌い継がれた「オラショ」の研究で大きな成果を残した。指揮者として合唱団を率い、ラジオ番組ではクラシック音楽、とりわけバッハ以前の音楽の魅力を柔和な語り口で解説していた。古楽の伝道師だった。

水戸藩士の流れをくむ家に生まれ、少年時代は能楽や歌舞伎に熱中しつつ、レコードで聴いたグレゴリオ聖歌やルネサンス期の宗教曲に衝撃を受ける。戦時中は学徒出陣を逃れるため音楽研究を諦めて医学の道を目指したが、終戦後の1948年に東京大文学部に入学。米国や欧州留学を経て68年、立教大教授に就任した。

実演にも熱心で、52年には「中世音楽合唱団」を結成し自ら指揮した。皆川氏と同じ時代の音楽を研究し、50年以上の交流があった国際基督教大の金沢正剛名誉教授は「研究した結果を現代譜の形で出版し、自らの合唱団や全国の合唱団を指導した。研究成果を音楽ファンに還元した功績は大きい」と振り返る。

その功績の最たるものが長年にわたるラジオ解説だ。65~85年には「バロック音楽のたのしみ」、88年からは「音楽の泉」とNHKの番組に出演。「武家出身らしく、優しいけど句読点がはっきりとした話し方」(金沢氏)でクラシック音楽ファンの耳を楽しませた。

古楽への意欲は晩年になっても衰えなかった。箏曲「六段」のルーツがグレゴリオ聖歌の「クレド」にあるとする説を提唱。2012年にローマで開催された国際音楽学会大会で、同合唱団と箏の同時演奏で披露した。「音楽の泉」の最後の放送は今年3月。「ごきげんよう、さようなら」というおなじみの言葉で締めくくった。

(西原幹喜)
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