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サビアンシンボルは数字の法則

サビアンシンボルの意味を理解するための最初のステップは、数字の法則から、サビアンの度数の意味を知ることです。

サビアンシンボルを解釈するときには、それぞれの度数の意味がベースとなります。以下に、1~30度の意味を紹介します。



▶1度:サインの性質のなかに落ちていく(力が生まれる)
サインのスタートを表します。サインの力が始まります。重心が新たなサインに移動する。

▶2度:突然の侵入により環境が驚き反応する。(素材が見つかる)
環境との関係がテーマです。環境に馴染もうと努力します。

▶3度:資質の発展。行動原理の確立(運動法則の確立)
サインの基本的な行動の特性が表れます。環境に馴染むことができるようになります。

▶4度:行動原理を安定化して、力を強める(動きの固定化)
集中してサインの力を引き出す。特定のものと同化して安心感を手に入れる。自分が与えられた先天的条件に、普遍的な意味が欲しいと願う。

▶5度:刺激を求めて冒険する(冒険心)
安定には飽きて新しい刺激を求める。変化への欲求があり、自由に動きまわる。

▶6度:現実世界と向き合い、新しい環境に飛び込む(環境との関わり)
自ら、環境に飛び込む。自分と他者、自分と環境との差分により、触発される。

▶7度:新しい環境で、落差と対立を経験する。(落差ゆえの意識の射出衝動)
音階のような、階段状の差がある現実を知る。比較によるコンプレックスが生まれる。

▶8度:落差からの超越。(帰属化)
対立構造から抜け出し、自分の役割を全うする。

▶9度:理解、洞察を得る(そのサインらしい理解力を示す)
精神的な、サインの基本的な視野が完成する。

▶10度:自分の体験を人に伝える(外部に伝える)
自分が得た考え方を、相手に伝わるように工夫する。

▶11度:積極的に飛び込む(通念を超える)
実験するように、積極的にサインの性質を使っていく。挑戦的にサインの資質を発展させて、好みのものをより豊かにする。

▶12度:新しいものを発見する(未知の探索)
内面の充実。新しい可能性を求める。

▶13度:カリスマ度数(超越的)
強い欲求を通そうとして、突出した能力を持つ。強気に手にれようとする。地上のルールを超越する法則。

▶14度:新システムの導入。超越的なものを適用する(日常的な定着)
13度で手に入れたものと、日常生活に折り合いをつける。自分の器を知る。

▶15度:力が満ちる。元素を支配する力。(転回点)
サインの前半部分の最終段階。サインの力が満ちた状態。

▶16度:反対の性質の力が流れ込む。(進化のための破綻)
サインの性質に破綻が生まれる。自分の性質以外にも目を向け始める。

▶17度:反対の性質の力をプラスに転換(遠いビジョンの伝達)
一度壊れたことで、新しい可能性を選り分ける。自分とは対極にあるものを受け入れることで、自分以外に関心をもち、外に開かれる。

▶18度:異なるものから答えを見つけ出す。忘れてたものを取り出す(再発見)
生き方のバランスを取りながら、自我を成長させる。暴露的な場合も。

▶19度:取り出したものに新しさを見出し、広い視野を手に入れる(精神的な出発)
今までよりも大きくなった自分をイメージする。真実の世界像を見る。

▶20度:信念が完成する(過去と未来の均衡)
自分の信念を貫くことができるという自身を持つ。周囲に振り回されずに、自分のルールを守る。

▶21度:積極的な活力。もっとも活力が旺盛な場所。ジャンプ度数。(臨界点)
サインの力を限界まで使って、積極的にやりたいことをやる。

▶22度:臨界に達した理念を定着。着地度数。(理念の定着)
活力に溢れるが、ガツガツ前進しない。具体的な活動のなかで対応する活動をする。

▶23度:ジャンプと着地を自在につかい、伸び伸びと発展させる。(理念の応用)
自由に力をつかって遊びながら発展させる。

▶24度:強い純粋さと極限。より良いものを引き寄せる。(純粋さ)
一番大切なエッセンスの要素を育てるために、生命力が旺盛になる。

▶25度:結晶化度数(サインの感性)
サインの最後の5度は次のサインに向けての調整。25度は実質サインの最終成果となる。

▶26度:豊かな成果を堪能して準備する(恩恵を受ける)
25度までで手に入れた成果の確認作業をする。

▶27度:次のステージへ向けてレベルアップ(未来を引き寄せる)
向上心を持って新しい世界を目指す。これまでの自分を捨てていく。

▶28度:方向転換度数(今までの自分を踏み台にする)
古い自分は打ち捨てて、新たなステージに向かってがむしゃらに進む。

▶29度:葛藤度数(ふたつの価値の比較)
次のステージに行くために、何を残し、何を捨てるか選択する。判断がつかず揺れる。

▶30度:サインのエネルギーを吐き出す(吐き出し)
手に入れたサインの力を、開放して使い尽くす。執着心が消える。
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「柄谷行人と占星術」2014/05/25

柄谷行人と占星術
2014/05/25
柄谷 〔…〕結局われわれが近代物理学の眼で物と言っているものは、実際には、あとから方法的に見出されたものだし、根本には、フェティシュ〔呪物〕というような物、それ自体がシーニュ〔記号〕であるような物があるんじゃないか*1、というふうに思うんですよ。
―『フェティシズムについて』(1978年)。*2

柄谷行人は、人間の脳から意識を引き出すロシア流の唯物論も、精神から存在を引き出すドイツ流の観念論も等しく否定している。それゆえ、上で考えられている「物」というのは、飄飄たる精神でないことはもちろんだが、また固定した物質でもない。彼は『資本論』のマルクス*3が言う「商品」を「物」と言い換えているのである。「物」という語のこの奇妙な用法には、記号論が考える「言語」とマルクスの言う「商品」を同じ視点から眺める彼のおもしろい*4考え方がはっきりとした形で現れている。

〈それ自体がフェティシュでもあり記号でもあるような「物」〉。柄谷が「物」と言うとき、そこには常に、記号の物質的性格と物質の記号的性格、そして物=記号の呪術的・霊的性格という三重化された意味の重ね合わせがある。彼が「物」と呼んでいるもの、それはある意味で、20世紀のフランスの理論家たちによって、「シニフィアンの物質性」〔ラカン*5〕とか、「言説的出来事の物質性」〔フーコー*6〕とか「エクリチュールの物質性」〔デリダ*7〕と呼ばれていたものと同じものである。だが、「自分で消化した、いわば肉化した言葉以外は避ける」のがモットーの柄谷は、そういう「方言」をけっして口にしようとはしない。どうせ廃れるに決まっているからだ。フランス人たちが言わんとしていたことと同じことを言うために日本語の長い歴史の中でピカピカに磨き上げられ今やすっかり「すり切れ」てしまった「物」という隠喩[μεταφορα]を彼が用いるのはそのためだ。

要するに、柄谷はふつうの人なら絶対に「物」とは言わないようなモノまで「物」と呼んでいるのである。彼が「物」という言葉を使うときに誰もが感じる、あの珍妙で神秘的な、馬鹿げたとでも言うべき印象の秘密はそこにある。一つの概念に対して二重三重に意味をオーバーラップさせるのはソフィスト的詭弁の典型的な手口だが、それは別にいい。問題は、というよりもむしろ、問題とすら言うべきではなく、応じることができるかどうかわからぬままに投じられた賭けとでも言うべきもの、それは以下のようなものである。

貨幣の呪物崇拝[フェティシズム]を正面から見定めようとする柄谷行人の価値形態論の下に、自らが信仰する占星術へと読者を誘い込もうとするある種の勧誘活動とでも呼びうるものを、明るみに出すことができるだろうか。
第二に、占星術がもたらす体系的で常に刷新される特異な作用が、物=商品について論じる柄谷行人のテクストに常に見出される「同一視」への欲望の中心的なエピソードを形作るものであるということを、明らかにすることができるだろうか。
最後に、占星術という形態をとったこの「同一視」への欲望を、柄谷行人という一人の個人に連結させるのではなく、批評一般の可能性へと連結させることができるだろうか。
そして、このエントリーが以上のアプローチにもとづいて明らかにしたいと考えていること、それは、〈呪物でありながらそれ自体が記号でもあるような「物」〉の存在を説明かつ正当化するために、いまだ「哲学者」ではなく「批評家」として活動していた頃の柄谷行人のテクストの中で「占星術」と名指されていた「同一視」への欲望が、彼の「哲学者」への転身と共に、抹消されているのはいったいどのようなわけなのか、ということである。

「例」として選ばれるのは、柄谷がアメリカから帰国して間もなく行われた岸田秀*8との対談『フェティシズムについて』(1978年)である。その対談の内的な読解を叩き台にして、柄谷行人にとって、占星術こそが、「同一視」への欲望そのものを貨幣の形而上学から逃れさせた原理に他ならないこと、すなわち、占星術こそが、貨幣によって消し去られ、それ以来、商品=物の価値形態において隠匿されたままになっていた「同一視」への欲望の外在性を打ち立て直したのであるということを示す予定である。そして、最後に、占星術の問題を提起することによって、批判(批評ではなくて)がいかなる対価を支払わなければならないかを検討することになるだろう。

柄谷行人のアメリカ滞在
柄谷 占星術というと、ぼくの家にセミプロがいましてね、(笑)しょっちゅうそれについて考えさせられてるんだけども。
ー『フェティシズムについて』(1978年)

「セミプロ」とはもちろん彼の妻だった冥王まさ子*9のことである。1975年9月から1977年1月までの約1年と半年あまりの間、柄谷はイェール大学東アジア学科から客員教授として招聘され、同地で日本文学を教えるために、妻子を連れてアメリカ東海岸の都市ニューヘイブンに滞在していた。ちょうどその頃、アメリカでは、一神教という大きな物語が崩壊してポストモダンへと突入し、空位となった神の座を埋め合わせるように占星術という第二の「神話」が大流行していた。とある社会心理学の調査がこの国で行われた際に、回答者の一人はこう答えたものだった-「わたしは神を信じないので、占星術を信じているのです」。アメリカに渡ったばかりの柄谷夫婦が何よりもまず面食らったのは当時アメリカに吹き荒れていた占星術のこの熱狂だった。

入信のきっかけは普通に生きていれば誰が出くわしてもおかしくないようなホンのささやかな偶然の一致を半ば「本気に受けとるところからはじまった」。

私が占星術に興味をもったのは、イェール大学のシェークスピア学者で、私と同年且つ誕生日が四日だけちがう男と親密になってからである。*10。―『批評とポスト・モダン』(1985年)

その男は「ユダヤ人だったが、ユダヤ人やアメリカ人などといった差異を忘れてしまうほど」柄谷と似ていた。気質や性癖だけでなく、たとえば、「結婚した年月と妻の年齢まで同じ」だったのである。彼は数におけるこの一致の「不思議さに打たれるほかなかった」。それからというもの、彼は当時アメリカで流行していた「出生の時刻と場所」から運勢を占う占星術に憑かれたように熱中し、同じ頃、やはり占星術に興味をもった妻のまさ子もまた占星術のコースに通い始めるようになる。柄谷が占星術のことを真剣に考えるようになったのはソレカラである。

占星術師としての柄谷行人
アメリカから帰国した直後の占星術に対する柄谷の打ち込み方はハンパなものではなかった。プロの占い師かと見紛うほどに素人離れしたその知識は、「月刊の女性誌を出そうとする編集者から占いの欄を担当して欲しいという」依頼の電話があったほどである。実際、アメリカから帰国して間もない1978年の一時期、柄谷行人という名のこの占い師は「人に会うたびに占星術のことをしゃべっていた」。たとえば、冒頭で引用した同年5月の岸田秀との対談『フェテシズムについて』においても、占星術の科学性やそれが持つ謎めいた魅力について何度も繰り返し訴えている。

柄谷 〔…〕たとえば岸田さんと江藤淳は同じ生年月日でしょ。*11

岸田 そうですか。(笑)

柄谷 たぶん生まれた時間がちがうし、場所もずれていますけどね。占星術でこの二人をみるということは、実はこの二人の共通性をとりだすことにほかならないのです。たとえば、義母の問題、日米関係への固執とか、子供がないとか、誰も共通していると思わない人に、このような共通性が占星術でははっきり出ているのです。それはメタフォリカルな同一性を把握することだと言えます。心理学だって同じでしょう。性格だってそうでしょう。

岸田 そうですね。

柄谷 そうだとすれば性格とかなんとかって、いまの心理学がいっているようなことでも、占星術の方がはるかに複雑に、組み合わせはものすごく多いですから、もっとこまかくつかんでる。そして、データを蓄積していくことを繰り返してる。"科学的"に成立するわけですよ、現在の占星術は。(笑)
―『フェティシズムについて』(1978年)

当時は誰も気づかなかった岸田秀と江藤淳の間の「共通性」は、柄谷によれば、予め占星術によって告げられていたのである。

ところで、柄谷が「人に会うたびに占星術のことをしゃべっていた」という1978年は、商品=物の価値形態論を扱った『マルクスその可能性の中心』が刊行された年でもある。価値形態論と占星術の「共通性」[κοινοτης]についてはすぐ後で触れるが、それにしても、数の上でのこの符合は、単なる偶然に過ぎないのか。それとも事はもっと複雑な仕方で、よじれた形で絡み合っているのだろうか。いずれにせよ、「何の根拠もない」この一致の「不思議さには打たれるほか」ない。似たような「同一視」は、アメリカ留学時に彼が師事した『ポール・ド・マン*12の死』の際にも認められる。

それは何の根拠もない妄想だった。私は妙な風にド・マンと自分の父とを同一視しはじめたのだ。ド・マンも私の父がそうだったように、一時は回復するが翌年の秋から悪化してその年内に死ぬだろう…。去年、コロンビア大学に滞在していた私が、秋になって、ド・マンが再入院したという話をきいたとき、癌が転移・再発したのだと決めこんでいた。"同一視"は、ある点で正しかった。実際に、彼は私の父の命日に死んだのだから。この信じがたい事実に圧倒されて、迷信深くなっていた私は、そこに"意味"を読みとろうとした。フロイト的であれ*13、ユング的であれ*14、占星術的であれ。
―『批評とポスト・モダン』(1985年)

上で語られている「同一視」の理論的な意味については後で触れる。いずれにせよ、この時期の柄谷が占星術の「意味」について「本気に受けと」っていたことは間違いないようだ。 占星術への言及は、アメリカから帰国した後まもなく始まり、1984年のポール・ド・マンの死をもって終わる。『探求』シリーズの執筆が開始されたのはその直後である。要するに占星術は、アメリカ帰国直後から『探求』の執筆開始まで、具体的には1978年から1984年までの柄谷行人にとって中心的なエピソードを形作っているのである。

黒歴史としての占星術
アメリカからの帰国直後の柄谷が書いたものは、『批評とポスト・モダン』(1985年)にまとまった形で収録されている。そのうちで、占星術に言及しているものには、以下のものがある。
タイトル 出典 年月 ページ
『天中殺』 雑誌『群像』 1979.5 P250〜252
『占星学のこと』 雑誌『言語生活』 1979.8 P255〜257
『仏教への関心』 雑誌『文藝』 1982.1 P258〜260
『原稿用紙のこと』 雑誌『文藝』 1982.11 P282
『ポール・ド・マンの死』 雑誌『群像』 1984.7 P303
*15

『批評とポスト・モダン』(1985年)*16が素晴らしいのは、占星術について熱っぽく語る柄谷という今となってはけっして見ることが出来ない柄谷行人の言わば"B面"とでも言うべきものが、「隠匿」されることなく露わになっているからである*17。それに対して、同書を絶版にして再編集した『差異としての場所』(1996年)*18がくだらないのは、占星術について書かれたこの時期のほぼ全てのテクスト*19が「編集」の名の下に黒歴史として削除され、「なかったこと」にされてしまっているからである*20。

近代物理学の起源としての占星術
では、記号でもあり呪物でもあるという「物」という語のあの馬鹿げた用法と柄谷が今やすっかり信じ込んでいる星占いとは、当時すっかり「迷信深くなっていた」柄谷の脳内で、一体どのように結びついていたのだろうか?
その部分を読んでみよう。

柄谷 〔…〕物理学という現象が成立するのは、数学のトランセンデンタルな〔超越論的な〕性質によるわけです。そうでなければ物質という概念は成立しない。〔…〕数学によってこそモノが存在する。客観物というのがね。客観物というのは実をいえば数学です。〔…〕ところが数学というものはけっしてア・プリオリなものではない。われわれがものの数を数えられるとき、それはそのものたちが同一であると考えるときです―つまり、根本的にはメタフォリカルな同一視がある。〔…〕すると、客観的な物質なるものは〔…〕メタフォアだということになる。たとえば天文学というのは占星術から来ている。
―『フェティシズムについて』(1979年)

「物というのは実をいえば数」である。だが、数はけっしてア・プリオリなもの、つまり自然[φυσις]によって与えられたものではない。数の「根本」には「メタフォリカルな同一視がある」。私たちが「物」を認識する際にア・プリオリなものは、けっして数などではなく、或る「物」と或る「物」を同一だとみなす「同一視」の働きである。柄谷の考えでは、あらゆる「物」の認識の「根本」にはそういう「同一視」が横たわっている。より正確に言えば、「同一視」する欲望が潜んでいる。彼はその欲望の働きを「メタフォア」と呼んでいる。物=商品の物神的な性格は、同一性をでっちあげる欲望の効果なのである。そして、そのような一般原理の例として、占星術が挙げられているのである。

《麗しきことは二度・三度》ということもある。問題点を明確に絞るために冒頭で引用した発言をもう一度読んでみよう。

柄谷 〔…〕結局われわれが近代物理学の眼で物と言っているものは、実際には、あとから方法的に見出されたものだし、根本には、フェティシュというような物、それ自体がシーニュであるような物があるんじゃないか、というふうに思うんですよ。
―『フェティシズムについて』(1978年)

つまり、柄谷としては、「それ自体が」メタフォア(記号)であり、欲望の対象(フェティシュ)でもあるようなそういう「物」を可能にする「同一視」への欲望があらゆる「物」の認識の「根本」に有るのだと言いたい。彼が「物」という語を用いるときのあの馬鹿げた用法は、以上の意味論に基づいている。

⑴三つのテーゼ
この意味論には三つのテーゼが含まれているように思われる。

同一視に関わる欲望が存在する。
その欲望は普遍的であり、あらゆる「物」の認識のうちに見いだされる。
その欲望は「根本的」なものである。
これらのテーゼは言うまでもなく未だ仮説の段階にとどまっている。したがって柄谷はその証拠を示さなければならない。けれども、その証拠は一つの「例」として与えられている。そして、そこで話題になっているのが他ならぬ占星術なのである。

⑵省略三段論法
たとえば天文学というのは占星術から来ている。占星術というと、ぼくの家にセミプロがいましてね、(笑)しょっちゅうそれについて考えさせされてるんだけども。占星術のはじまりは〔…〕
―『フェティシズムについて』(1978年)

この「たとえば」は、一般的なやり方で、証拠・証言のような何かを明らかにするものに関わっている。「たとえば」は哲学者や批評家が何らかの証拠を導入する典型的なやり方なのである。この「たとえば」という接続詞は、柄谷行人の推論を極めて特殊なタイプの推論へと導いていく。それは原因による推論ではなく、例による推論であり、特殊なケースを用いた推論である。柄谷夫婦が同時期に熱狂していた占星術という一つの特殊なケースにすぎないものが、「物」のあらゆる認識の「根本」にある「同一視」への欲望という未だ仮説の段階にとどまっている一般原理のもとに包摂されているのである。そして、特殊なケースにおいて真なるものが、来るべき一般原理の真理を打ち立てる。早い話が、これは一種の省略三段論法[ενθυμημα]*21である。あらゆる「物」の認識が「同一視」への欲望に基づいているということの証拠が、厳密な三段論法ではなく、一つの省略三段論法によって与えられているということ。これはどうでもいいことであるどころか、その反対である。

⑶二重の遡行
柄谷 たとえば天文学というのは占星術から来ている。占星術というと、ぼくの家にセミプロがいましてね、(笑)しょっちゅうそれについて考えさせされてるんだけども。占星術のはじまりは、太陽と水火木、土星(あとは近年に見出されています)という惑星の位置関係と人間界のできごとを結びつける。最初はまあ自然現象ですね。それとの関係づけみたいなことから始まっている。あるできごとがあると、星の組合せから,いいかえれば星の形成するテクストから、そのできごとの意味を考える、できごとを結びつける、ということから始めている。その結果として星の運行を鶴べる、それがしまいには天文学になり、そこから近代物理学がはじまっている。そこでははじめから物質的なものを考える。しかし物質なるものは根本的には意味なのではないか。それはメタフォアであり神話なのではないかと思うのです。
―『フェティシズムについて』(1978年)

一般原理の例証[παραδειγμα]として挙げられた占星術というこの特殊なケースには、二重の意味での起源への遡行が含まれている。
第一の遡行 ー 物質から数へ、そしてメタフォアへ。
第二の遡行 ー 近代物理学から天文学へ、そして占星術へ。

物質の起源を遡ることでメタフォアが、近代物理学の起源を遡ることで占星術が、それぞれ発見されている。柄谷はこの二つの遡行を類比的に重ね合わせることによって一般原理を確かなものにしようと目論んでいる。だが、仮に相互に異なる二つの系列の類比[αναλογια]による「同一視」*22を妥当なものだと認めるとしても、それぞれの移動において起源へと順繰りに遡行して行くというやり方では、来るべき一般原理を正当化することはけっしてできないように思われる。それはなぜか。

柄谷としては、占星術が近代物理学の祖先であることから類推して、物質とは実はメタフォアであると言いたい。さらに、その命題をひっくり返して、自らが信奉する占星術が近代物理学に匹敵する知の形態であるということを主張=肯定したい。だが、人間の祖先がサルだからといって、それを根拠にサルの知能は人間のそれに匹敵するとか、人間が実はサルであるとはいえないように、たとえ物理学の遠い祖先が占星術だったとしても、それを根拠に物理学が占星術であるという結論は導けないし、ましてや物質は「根本的には」メタフォアであるなどというさらに極端な結論を下すことは許されない。それゆえ、起源(占星術)へと遡り、起源と起源に由来するものを「同一視」することで一般原理を歴史的に正当化するという柄谷の目論見はどうあがいても不成功に終わる運命にあると言えるだろう。子孫にとって祖先[αρχη]とは常に他なるものであり、けっして同じものではないからだ。

原理としての占星術
結局のところ、このテクストには、〈それ自体が記号でもありフェティシュでもあるような「物」〉という語りが存在することを可能にする誤謬推理をも含んだ弱々しく根拠に乏しい一連の言説による支えのようなものが見出される。具体的には以下のものである。

⑴三つのテーゼ
⑵省略三段論法の形をとる一つのレトリック
⑶その推論における二重の遡行

整理しよう。
⑴『ポール・ド・マンの死』(1984年)は、あらゆる「物」の認識の「根本」にある「同一視」への欲望というこのテーゼを占星術へと関連づけていた。
⑵その「同一視」への欲望の「例」として挙げられていたのも占星術である。
⑶その「例」の中で、近代物理学から遡って関連づけられていたのも占星術である。

以上⑴〜⑶のいずれにおいても共通ナモノ[κοινον]、それは占星術である。この「共通性」はけっして偶然のものではない。確かに「意味」を占星術へと遡って運んで行く仕方はそれぞれに異なっている。けれども、柄谷行人にとって、占星術とは、担い導く根源的な「意味」であり、そこへと運ばれ、彼がその都度それに応ジテ語ル[αναλεγειν]その「意味」は、いつでもソコカラ出発して(それに基づいて)こそ本当の意味で語ることが出来ルようなものなのである。「ソコカラ」とは、古典ギリシャ語ではαρχη[始まり、原理]を意味する。この原理とは、それに応ジテ語ル多くのものを統一するもの、言い換えれば、そのつど応ジテ語ルその語りのさまざまな有り方を担い導く根源的な「意味」である。柄谷行人にとって占星術とは、全ての「批評」を担い導く根源的な「意味」であり、この主導的な「意味」に対するその都度の応答として全ての語りを組織する一つの原理(始源)である。「物」についてのあの馬鹿げた用法も例外ではない。占星術はまさしく、「物」という語のあの馬鹿げた用法を「例」の弱々しい手つきで支えている当のものだからだ。

柄谷行人にとって、メタフォリカルに語ることは、ただ一つの原理[αρχη]、すなわち占星術トノ関係ニオイテ語ルコトである。それ故、原理としての占星術は、さまざまな仕方でそのつど応ジテ語ラれる諸々のものにとって共通ナモノ[κοινον]である。しかし、それは類[γενος]のように端的に共通ナモノ[κοινον]ではなく、何カ共通デアルヨウナモノ[κοινον τι]であり、同一性(同一視)の一つの有り方としての類比[αναλογια]、すなわち、それに応ジテ語ラれる諸々のものを一つの統一のうちにまとめているようなものとしての類比である。

結局のところ、柄谷行人の「批評」の原理は「差異」などでない。彼の原理は一貫して「同一視」にあり、より正確に言えば、一ツノ原理トノ関係ニオイテ語ルコト[λεγειν προς μιαν αρχην]という意味での類比による「同一視」(占星術)にある。『探求』シリーズを論じるにあたって、差異の識別ではなく「同じ」であることの確証の方に力を注ぐ柄谷の奇妙な振る舞いに着目した蓮實重彦*23の『戦闘の光景』*24はその意味で炯眼だったと言えるだろう。

このときわれわれは、奇妙な事態に遭遇する。「思想の核心は、共通性にではなく、微細な差異性にある」と断言されている書物にあって、著者がもっとも力をこめて実践している振舞いが、差異の識別というよりもむしろ「同じ」であることの確証であるかに見えるからである。
ー 蓮實重彦『戦闘の光景(二) ー 柄谷行人の『探求』Ⅰ、Ⅱを読む』

もちろん上で蓮實が遭遇している「奇妙な事態」の秘密が占星術にあることはあらためて言うまでもない。

とある占星術師の夢
『懐疑的に語られた夢』の中で柄谷行人は、《批評とは何か》の問いに答えて、批評の本質を《視霊者の夢を懐疑的に語ること》だと規定している。しかし、この「視霊者の夢」はあくまで隠喩であり、これを「占星術師の夢」として読むのでなければ「まったく愚劣である」。

「批評とは畢に己の夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(『様々なる意匠』。この有名な文句は、たとえば「夢」を「視霊者の夢」(カント)*25として読むのでなければ、まったく愚劣である。実際これからどれだけ陳腐な批評が量産されてきたことか― 小林秀雄から「批評」がはじまったといいうるとすれば、まさに彼が「視霊者の夢」を肯定しながら否定し、あるいは否定することによって肯定するという戦略的言説をとらねばならなかったからである。
―『批評とポスト・モダン』(1985年)

懐疑的に語られた「夢」しかし、少々あらっぽいいい方をすれば、「批評」は、いわば幽霊を本気に受けとるところからはじまったのだ。
―『批評とポスト・モダン』(1985年)

ところが、「幽霊を本気に受けとるところからはじまった」はずの小林秀雄*26の「批評」は、なぜか本を出版するにあたって「肝心の部分」をいつも「隠匿」してしまうのである。例えば死んだ母親の幽霊をみたというエピソードから始まるベルクソン*27論は完成することなく途中で放棄され、彼のライフワークである『本居宣長』は、雑誌連載時には自分が霊能者であることを告白しているユングの『自伝』について頻繁に言及されていたにもかかわらず、その箇所は単行本として出版されるにあたって抹消され、「隠匿」されてしまう。こうした振る舞いに「理性の不安」を嗅ぎ取る柄谷は、小林の「隠匿」をこう罵っている。

小林秀雄はユングヘのこうした言及などをすべて削除してしまった。私にとって、本になった『本居宣長』がすこしも面白くなかったのはそのためだ。この本は読者にわかるように改稿されたというが、その読者とはせいぜい知的大衆(中産階級)である。小林秀雄が「近代人」とよんでいるのはそういう連中にすぎない。幽霊を見たと書けば、鼻でわらう程度の「知性」に、小林秀雄はひどく気をつかっているのである。とにかく、彼は肝心の部分を消してしまった。小林秀雄が本気でそういうことを考えていたとは誰も思うまい。だから、ひとびとは小林秀雄の「知性上の悪闘」について語り、その狂気(愚かさ)については語らない。
―『批評とポスト・モダン』(1985年)

だが、小林に対するこの罵倒は、『差異としての場所』の柄谷自身にもブーメランのように跳ね返る。アメリカ滞在以降の柄谷の「批評」が、占星術的な「同一視」を半ば「本気に受けとることからはじまった」ことは既に見た。『批評とポスト・モダン』および同時期になされた対談での柄谷の発言の数々がその証人である。にもかかわらず1996年の『差異としての場所』が、そうした「肝心なところ」を「隠匿」してしまっているのは一体どういうわけなのか。今となっては柄谷行人が本気でそういうことを考えていたとは誰も思うまい。とにかく彼は「肝心の部分」を消してしまった。私にとって、『差異としての場所』が少しも面白くなかったのは、星々の配置に個人の運命を見たと書けば、鼻で笑う程度の連中に柄谷がひどく気を使っているからである。あとから徹底的に編集する柄谷行人のテクストに関して「はじめから」というのはもともと無理な話である。彼の考えが首尾一貫しているのは当り前なのだ。

柄谷行人は、カントの『視霊者の夢』という奇妙な論文に、のちの「批判」においてはあるかたちで解消されてしまうような「理性の不安」を見出している。「批評」とはおそらく、「批判」に行きつけば解消されてしまうようなある種の「不安定さ」、あるいは、あらゆる「批判」を無根拠に追いやるような「不安」によってのみ可能となるものだ*28。この時期の柄谷行人がまぎれもなく「批評家」であったのは、彼が、不安げに、いわば懐疑的にしかその「夢」を語りえなかったからである。《批評とは占星術師が己の夢を懐疑的に語ることではないのか!》。もしそうだとすれば、その後の『トランスクリティーク』において失われたのは、とある占星術師の夢としての「批評」だといってよい*29。

三人の批評家(小林秀雄、吉本隆明、江藤淳)の名前を挙げられましたが、近年、僕は彼らをまったく意識していないですね。彼らに共通しているのは、日本の内部に閉じられた仕事をしていくということだと思います。僕の場合は多分、三十四、五歳の頃に別の遺伝子が組み込まれたという感じがあって、年とともにいよいよ増殖してくる感じがある*30。だから、ミュータントというか(笑)、そういう感じがしています。
- 柄谷行人『文学と運動―― 二〇〇一年と一九六〇年の間で』(2001年)


*1:「記号」を「名」の一種として捉えるなら、「名指し」は「もの」であることの前提条件といえるかもしれない。『老子』によれば、およそいかなる「名」も持っていないものは、「もの」ではない。「無名」は「無」に等しく、「名」があってはじめて「無」は「有」になり、そこにはじめて「もの」が出現するのである。「名」の存在論的機能を強調する立場は『老子』だけではない。ヴェーダーンタ哲学の名色論や、イブヌ・ル・アラビーの神名論も同じような考え方を採用している。

*2:雑誌『思想』1978年7月号。岸田秀『幻想を語る』収録。

*3:Karl Heinrich Marx。1818年5月5日出生。牡牛座。年月日死亡。1883年3月14日死亡。

*4:「おもしろい」というのは、もちろんイイ意味で。

*5:Jacques Marie Émile Lacan。1901年4月13日出生。牡羊座。1981年9月9日死亡。

*6:Michel Foucault。1926年10月15日出生。天秤座。1984年6月25日死亡。

*7:Jacques Derrida。1930年7月15日出生。蟹座。2004年10月8日死亡。

*8:岸田秀。1933年12月25日出生。山羊座。『ものぐさ精神分析』で唯幻論を説いた。彼の唯幻論は母が子に注ぐ「愛情」を単なる自己欺瞞として否定する。つまり、母性批判から出発した岸田の唯幻論は、対幻想(家族)の領域に自立性を認めようとしない点で、先行する吉本隆明(11月25日出生・2012年3月16日死亡・射手座)の『共同幻想論』とは理論的に対立する。対幻想の位置づけを巡る両者の対立については、岸田秀『さらに幻想を語る』収録の両者の対談『共同幻想について』を参照。また、岸田に師事した本田透(1969年5月12日出生・牡牛座)の『喪男の哲学史』にもその点についての詳しい解説がある。本田透の喪男哲学は、恋愛や家族(対幻想)を否定し、萌え(個人幻想)を肯定するところから出発した。それに対して、東浩紀(1971年5月9日生まれ牡牛座)のポスト喪男哲学は、家族(対幻想)を肯定し、男性性(父性)を無自覚に担うことが出来ない「ダメ」なオタクの自己欺瞞として萌え(個人幻想)を否定する。つまり、本田の喪男哲学と東のポスト喪男哲学の間には、家族(対幻想)の位置づけを巡って日本海溝よりも深い意見の断絶がある。学生時代のマルクスが言うように《理論における意見の違いは、実践におけるエネルギーの違いに転化する》。これはもはや「法則」と言ってもよいものだ。喪男であること、批評家と小説家の二足のわらじをはいていること、誕生日が三日しか違わないこと…etc、いくつもの共通点があるにもかかわらず本田透と東浩紀がけっして交わらないのは、おそらく対幻想の位置づけを巡って両者が根本的に対立しているからだろう。例えば、東浩紀の『萌えの手前、不能性にとどまることー「Air」について』、その中でも特にオタクがしばしば使う「ダメ」という言葉について述べた箇所は、一種の本田透批判として読むことが出来る。この点についてはいつか稿をあらためて書いてみたいと思っている。なお、対幻想を軸に日本の批評史を紐解く先駆的な試みとしては鳥籠ノ砂の「これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性」がある。そもそもこのエントリーは同記事に応ジテ語ルために書いたものなので、本エントリーを一読して文脈がよくわからなかった方は、ぜひ籠原スナヲさんの明晰な文章も併わせて読んでみてほしい。

*9:冥王まさ子。1939年11月25日出生。射手座。1965年に柄谷行人と結婚。1995年4月21日死亡。彼女と柄谷行人との関係については、1976年夏のヨーロッパへの家族旅行を描いた冥王まさ子の小説『天馬空を行く』を参照。なお、柄谷行人による同書の巻末解説(1996年4月)も重要な示唆を含んでいる。

*10:柄谷行人の生年月日は1941年8月6日。獅子座である。なお、「イェール大学のシェークスピア学者」の生年月日は1941年8月10日か1941年8月2日のいずれかである。

*11:江藤淳の生年月日は1932年12月25日、岸田秀の生年月日は1933年12月25日。共に山羊座である。

*12:Paul de Man。1919年12月6日出生。射手座。1983年12月21日死亡。弟子にガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク(1942年2月24日生まれ魚座)がいる。

*13:Sigmund Freud。1856年5月6日出生。牡牛座。1939年9月23日死亡。

*14:Carl Gustav Jung。1875年7月26日出生。獅子座。1961年6月6日死亡。

*15:ページ数は『批評とポスト・モダン』文庫版のものを記載。

*16:1985年は、ポール・ド・マンが死んでしまい、理論家としても「デッドロックに乗り上げていた」柄谷が、「そこから出口を求めて」『探求』Ⅰ・Ⅱを書き始めた時期と重なっている。

*17:『批評とポスト・モダン』と同時期に書かれた理論的な文章を集めた論文集としては『隠喩としての建築』がある。しかし、同書での占星術についての言及は、『病の記号学』の一箇所しかない。同書で唯一つ占星術に言及しているこの論文が、同書を絶版にして再編集した『差異としての場所』には収録されていないことも意味深である。なお、『批評とポスト・モダン』と『隠喩としての建築』は、「ほぼ同時期に書かれた文章をわざわざ分けて収めて世に出したものだ」。出版のレベルにおけるこの「分割」の意味については鳥籠ノ砂の「『郵便的不安たち』について ――東浩紀と柄谷行人(第二回)」に詳しい。

*18:1996年は、ちょうど柄谷が『探究Ⅲ』を放棄して『トランスクリティーク』を構想した時期と重なっている。

*19:『差異としての場所』における占星術への言及は『ポール・ド・マンの死』の一箇所のみである。

*20:だが、痕跡としては残っている。『小島信男論』と『文体について』における「星」は、占星術という文脈の下で改めて読み直すことが可能だと思う。

*21:省略三段論法についてはアリストテレス『弁論術』を参照。

*22:多くの異なるものの同一視(同一化)にはいくつもの有り方がある。類比による同一視がそのうちの一つに過ぎないことは言うまでもない。アリストテレスは『形而上学』において、同一視の有り方として次のものを挙げている。①数による同一視②種による同一視③類による同一視④類比による同一視。ここで問題となっている④類比による同一視については『形而上学』1018a12以下に詳しい。なお、同書1003b5以下も参照。この箇所でアリストテレスはαναλογια[類比]の本質を「一つの原理との関係において語ること」と規定している。

*23:蓮實重彦。1936年4月29日出生。牡牛座。

*24:雑誌『文學界』1990年1月。

*25:Immanuel Kant。牡牛座。1724年4月22日出生。1804年2月12日死亡。

*26:小林秀雄。1902年4月11日出生。 牡羊座。1983年3月1日死亡。

*27: Henri-Louis Bergson。1859年10月18日出生。天秤座。1941年1月4日死亡。

*28:批評がある種の「不安」によってのみ可能となるのだとすれば、批評は批評である限り絶対的に安定することはありえないということになるだろう。そして、絶対的には安定化できないということは、何とか安定化することもできることを意味する。つまり、批評にできることは、不安定[instable]な仕方で相対的に安定化することだけだ。

*29:このエントリーは素朴にも、哲学者に転身した後の柄谷から小林秀雄的な意味での「批評」が失われてしまったことの指摘に終始しているが、既に終わった柄谷行人の締め出し行為を問い詰めるだけではもちろん十分ではない。むしろ、そのつど彼自身が打ち立てた尺度に基づいて、柄谷に絶えまなく「隠匿」を強いているものが何かを具体的に指し示すべきだろう。柄谷行人はその「理念」に従ってそのつど捕獲されるべきであって、既に犯してしまった過去の締め出し行為によって処罰されるべきではない。確かに柄谷は占星術師としての己が見た夢を不安げに語り続けることを望まなかった。けれども、そんな柄谷に対して、お前は自分が「欲しないこと」をしなかったと非難したところで、それは無意味である。決定的なことはただ一つ、柄谷が「欲していること」があまりに錯綜していて、相互に矛盾しあい、そのせいで彼の言説の本当らしさが救いようもないほどに毀損してしまっているということにある。

*30:「三十四、五歳の頃」柄谷はどこにいたか?アメリカの東海岸、コネチカット[Connect-I-Cut]州の都市ニューヘイブンにいた。ならば、そこで「組み込まれ」「年とともにいよいよ増殖してくる」という「別の遺伝子」とは具体的には何なのか?

【雑記】本山宗教哲学に関するメモ(ヨーガと霊的階層世界あるいは二元論と空思想の統合)


2015-07-16 17:34:17 | 断章・随想

霊的身体と霊界に関して昔何か書いたような記憶があって、探してみたら、こんなのがありました。
2007年11月に行なわれた本山博先生の講演会《二元論と空思想の統合》(筑波大学東京キャンパス)を拝聴して、当時の東京スピリチュアリズム・ラボラトリーの非公開掲示板に書いたメモです。
非公開だったものだし、自分でも忘れていたものなので、再録。
言葉足らずで少し不真面目なもので恐縮ですが。

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本山宗教哲学についてのメモ

講演会の特に第一部を中心に、要点のメモのようなご紹介です。
以下はあくまでも、本山ワールドのひどく大雑把な素描、しかもスピリチュアリズムの側からのバイアスがかかった見方に過ぎません。

《二元論と空思想の統合》
という、まあどえらいテーマで、こんな大看板を立てられるのは、大先生くらいのものでしょう。これを何とか私の幼稚園生のレベルで解読してみようと。

◆二元論、空思想とは何じゃ

まず、二元論とは、という話をしなきゃならないわけで、これをやりだすと延々たる宗教思想史・哲学史の話になってしまう。そんなことは冗談じゃあないので、簡単に言えば、要するに西洋の宗教思想の根源にあるもの。ユダヤ=キリスト教では、神vs被造物という二元が正統教義(神とその被造物である人間はとんでもなく断絶している)。その他に、善vs悪、人間vs自然、そして霊vs物質、といった二元論もある。ちなみに唯物論は一元論。このあたりはTSLHPの高森研究室「現代の知の風景と霊学」をお読みください。
で、スピリチュアリズムは、暫定的二元論。霊の世界と物質世界は異なる、と言っているわけ。しかし神vs被造物、善vs悪、人間vs自然、という二元論は採らない。本山先生の原初的霊体験は基本的にスピリチュアリズムときわめて近い。

しかし、この二元論は、《対立的世界観》(闘争的世界観)である(戦争や環境破壊の元凶となる)。また、《対立する異なる存在がどうして互いに相互作用し合うことができるのかについての理解が足りない。》
おっしゃるとおり。スピリチュアリズムにおいても、霊と物質がどう相互作用しているのかについて、まだ知見は少ない。人間はどうしても霊と物質との葛藤に苦しまされる。

で、もう一方に、「空」に代表される東洋的一元論がある。これは絶対者と人間や動物や非生命との間に断絶的な区別がない。「一なる元」はブラーフマンであったり(古インド宗教)、「空」であったり(大乗仏教の本流である中観思想)、「心」であったり(中観に敗れた唯識思想)、「気」(神秘的エネルギー)であったり(タオイズム)する。《争いのない大調和の世界観》。アジアの豊かな自然の賜物というか、アジア人の叡智というか。
ヨーガや禅は基本的にこっちに入る(細かい説明は省略。まあ絶対との融合をめざす、と大まかに言っておく)。ちなみに日本の仏教者は好んで「心身一如」という言い方をする(嘘だろう、と私は思うが)。

しかし、この「空」思想は、《無明を生じせしめる根拠、自己凝集の物の原理、物についての理解が足りない》。個人や主体性や他者の問題が捨象されたり、現世への対処がなおざりになったりする。

◆本山宗教哲学の「階層的統合」とマイヤーズ通信

この、単純に言えば西洋vs東洋の世界観・宗教観をどう統合するかという大問題。
で、大変失礼ながら、この統合をめざす本山宗教哲学の中核を一言で言えば、「階層的統合」ということになる。

①現実界 → ②アストラル界 → ③カラーナ界 → ④プルシャ界 → ⑤絶対無

②アストラル界は、《超感覚的感覚や感情が主として働く》世界。
③カラーナ界は、《普遍的真理を知的直観によって把握する理性が主として働く》世界。
④プルシャ界は、純粋精神、本質の世界。神、仏の世界。存在を超越した無の在り方を背後に持っている。《仏陀の悟りの「非想非非想」に当たる》。
⑤絶対無は、一切の存在を超えた絶対無。

つまり、究極の神は絶対無としか形容しようがないが、そこへの間には、さまざまな霊的世界があるよ、ということになる。霊の世界を認めるだけでは中途半端、しかし、人間の分際がいきなり絶対無にすっとぶことはできない。

スピリチュアリストはこの説を聞けば、すぐに「マイヤーズ通信の階層的他界構造」を思い起こすであろう。
①現実界 ②幻想界 ③形相界 ④火焔界 ⑤光明界 ⑥彼岸 (冥府は中間界なので除外)
ありゃ、一つ多い。②と③をアストラル界下部・上部とすれば、わりあいすっきり対応するか。

現実界の物理的次元では、万象の個は分離している。三つのリンゴは三つのリンゴ。三つのリンゴと七つのバナナは十個の果物。水の中には二つの水素原子と一つの酸素原子。
ところが、

《アストラル上界の霊は自らの霊的存在としての自覚ができ、……働きの上で他の霊的存在と1+1・・・+n=1となり、存在上も一つに重なり合一する》。

《カラーナ界の霊の一つになりうる数は、アストラルの世界よりもはるかに多い。存在性の区別は、理性が何れの真理を求めているかによって決まる。》

《プルシャのTopos(Field)においては、物理的次元の存在、アストラル、カラーナの次元の存在を、それらの本質であるプルシャの次元で、無限個包摂し得る。》

これもまた、マイヤーズ通信の「類魂」「本霊」の存在論と何とも重なるではないですか。現実界の複数の魂が、形相界では類魂として一つになる。それはさらに火焔界、光明界では、より大きなグループとして、本霊の中に統合される……。

◆自己否定

で、この次元間の移行転換は「自己否定」というプロセスを必要とする。
物理次元からアストラル界、さらにカラーナ界、プルシャ界へと移行する際には、たとえば死という自己否定が必要となる。生きたままアストラル界へ行くためには、物理次元の自己(欲望、自我)を否定しなければならない。
また上の界から下降するのも、自己否定が必要となる。霊は自らの大きな認知思考能力を否定して、この重苦しい現実界に接触しやすい存在に身を低めて、降りてくることになる。
この自己否定は絶対無もまた同じであるとされる。つまり、

《絶対無は、プルシャ、カラーナ、アストラル、物理的次元への、自己否定によって各次元の存在を創造し、更に根源的物質(urmaterie)をも、自己否定によって創造する》。

全宇宙は、絶対無の自己否定によって生まれたということ。

本山先生は、とてつもない苦行をやられて、自己否定をすることで、高次の霊界とつながるようになったといわれています。

◆ヨーガ

死という自己否定ではなく、その次元にいつつ、高次の世界と触れ、融合することができる。それは、自己否定の行を通してであり、またチャクラ(エネルギーセンター)の開発によって、上からのエネルギーが流入することによって可能となる。

《下から上への転換は、下の存在の、自力による、あるいは自然発生的因果の過程による自己否定の極で、上からのエネルギーの流入で下の存在の完全な自己否定が生じ、上の次元への飛躍が生じる。》

このプロセスを可能にするのがヨーガである。

《ヨーガの本当の目的とは、人間の精神を進化させて、言葉を換えれば霊的成長を果たして、プルシャとの合一を目指すこと》である(『現代社会と瞑想ヨーガ』より)。

《人はだれでも修行を積むことによって生身の肉体と高い次元の精神を合わせ持った、まったく新しい人間存在として生まれ変わることができる。物理的次元の世界に住みながらモノの原理の束縛から自由な精神を持ち、智恵と愛に満ちた人間の社会をつくることができる……。いわば神の国を、この物理的次元で実現することができるということなのです。》(同前書)

講演第二部で、様々な実証実験の成果が出されましたが、それらの多くは、霊的なエネルギーの流入ポイントであるチャクラの「覚醒」についてでした。覚醒者の「マニプラ・チャクラ」(みぞおちと臍の中間、太陽神経叢)から光が発生するのを暗室で捉えたビデオは、驚きました。

ヨーガやチャクラについては、おいそれとは説明できないものだし、私は専門でもないので、知りたい方は本を読んでください。

本山宗教哲学とスピリチュアリズムとが異なるのは、このあたりということになりますね。本山先生の道は、やはりインド系の「達人宗教」「修行」の道、スピリチュアリズムは「平民宗教」「易行道」の道。
このあたりのことについては、また。

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霊性進化 単行本 – 2018/8/14 鶴石 悠紀 (著)

霊性進化 単行本 – 2018/8/14
鶴石 悠紀 (著)

「何年か後の人間社会」に警鐘を鳴らす、現代の一大叙事詩。

「私は、六次元の霊界に位置する神仏霊の一人です。
自らの神仏意識を高めるために、もう一度物質界に生れ替わって、
人間として修行を行うべき時が来たのです。」

かつてその怪力で、天の岩戸を開けたとされる天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)。
神仏霊界の中で最下位の霊界に位置するその霊体は、
悟りを極めてよりうえの霊界へと自らをレベルアップさせるため、人間界で修行を積む機会をずっと願っていた。
そして2030年5月、栃木県鹿沼市で歯科医院を開業する夫妻のもとに、まるまると太った男の子が生まれる。
三井家の三番めとして生まれた光樹(こうじゅ)は、
六次元霊体の生れ替わりとして、兄や姉、周囲の子どもとは桁違いのスピードで成長しはじめ――

「身体的な能力をいくら極めても、いずれは自惚れや傲慢、自信過剰に囚われてしまうだろう。
力を内に秘め、力ではなく、知恵や言葉で人々を導くことが出来るようにならなければ、
上位の神仏霊にはなれないのだ」

凄まじい速度であらゆる能力を開花させ、文字どおり「神童」として活躍を続ける光樹。
やがて日本を飛び出して「世界」のあるがままに触れた彼は、
「恵まれない人たち」の存在に気づき、
「この世界を少しでも良くするために」という思いから、一つまた一つと、「上位神」をめざして歩みはじめ――
霊界を超えて、いま、ひとつの霊体が人間界に奇跡を生みだす!
六次元霊体の転生「三井光樹」をめぐる、現代の壮大な叙事詩。

日本人の約1/3は首都圏在住。ミヨーの音楽に共感できる人は多いはずです。

日本人の約1/3は首都圏在住。ミヨーの音楽に共感できる人は多いはずです。
2014年11月3日
形式: CD
ドビュッシー亡き後のフランス音楽界を牽引した「六人組」の中心人物。番号付きのものだけで443もの作品を書き残した多作家の彼は、多調・新古典主義者とよく形容されるように、かっちりとした堅牢な書法を基調にしていますが、その骨組みの上に、ダダイズム色濃い戯画的な旋律と、素っ頓狂ですらあるリズム、コード進行をべた塗りしてオリジナリティを発揮した作曲家です。そのためもあってか彼の作品は、悪くいえばどこを切っても金太郎飴みたいなのですが、彼の筆致の内側には、ピカソよろしく人を喰った戯画的でキッチュな一面と並んで、故郷南仏のうららかな田舎情緒を彷彿させるロマンティックな一面が確かに息づいていて、後年になればなるほど後者の表情が楽曲の中に色濃く滲み出てきます。それがちょうど、故郷を捨てて華の都パリに上り、コスモポリタンを気取って時代の最先端を生きることになった彼の心を、生涯にわたって吹き抜けていた南仏の風のようで。私にとってこの作曲家は、生まれ故郷のルーツと素直に向き合うようになって以降の抒情的な作品が、もっぱら嗜好の対象になっています。

ミヨーの交響曲は、作曲者がその出自ゆえにナチズムに追われ、やがて渡米を余儀なくされた時期に書き始められた、比較的後期の作品群です。テンポの速い曲では堅牢な擬古典・新古典的傾向を示しつつも、ここにあるのは、かつて楽壇のダダイストを気取り、肩で風を切って実験的かつ先鋭的な作品を次々と発表していた、お上りさん青年ミヨーの音楽ではありません。プロヴァンスの小河のせせらぎと、果樹園を吹き抜ける爽やかな涼風、村祭りの賑やかさ。自身の体内に記憶された田舎の記憶と衒いなく向き合った、穏やかで真摯なロマンティシズムが溢れる音楽です。

手兵トゥルーズ市立管(のち国立トゥルーズ管)を率い、膨大な録音を残してきたフランスの大指揮者ミシェル・プラッソンは、なぜかたった二枚、4作品だけ、ミヨーの交響曲を吹き込みました。本盤はその片割れで、『6番』と『7番』を併録しています。この録音が出た当時、まさにプラッソンによる最良の解釈と演奏でミヨーを教えられた私は、この愛すべき南仏情緒の作曲家に心奪われ、続編を鶴首の思いで待ったものでした。その後、ペンギン・ガイドのロゼッタ賞(最高賞)まで貰いながら、ついに続編を吹き込んではくれなかったプラッソンに恨み言をいいながら、私は方々の録音に手を出し、作曲家ミヨーの全体像を当時よりもずっと深く理解できるようになりました。今では、なぜプラッソンが12篇の交響曲からこの4作品を選んで吹き込んだのか、よく理解できるようになった気がします。まだミヨーをご存じない方、六人組イメージで食わず嫌いをしてしまう前に、ぜひプラッソンの残した2盤をお探しになってみてください。きっとあなたの心のなかにも、故郷からの風が穏やかに吹き抜けていくことでしょう。ルーツに立脚したミヨー芸術の白眉『第6番』は、後世に引き継ぎたい名品だと私は思います。

注記:
交響曲3番、7番と標示されていますが、プラッソンは3番は録音していません。ジャケット写真にある通り、6番と7番の(地中海風序曲もカップリングした)録音です。
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