チャールズ・サンダーズ・パース(1839-1914年)

パース
2016-07-21 Thu
“論理は倫理によって、倫理は美学によって決まる。”
“本当の思考すべての直接的解釈項が行為である。”
“世界には偶然、法則、習慣獲得性の三つの要素が働いている。”
“合理的判断は現実のできごとの世界を支配している。”
“自分を他より高くするには自分を制御することである。”
“意識を超えたものが自然科学そのものの中に埋め込まれている。”
“観念とは直接の意識を超えた何かの表象である。”
“表象は類像(icon)、指標(index)、象徴(symbol)の三つの記号による。”
“実在を知覚するには一歩一歩abduction(当て推量)を行う必要がある。”

かく、魅惑的な言説を吐いたチャールズ・サンダーズ・パース(1839-1914年)は、がっちりした体躯、浅黒い肌、5フィート7インチの背丈(=170センチ)の非常にハンサムな男であった。眸は燃えるように深く輝き、声はよくとおる高い声で、30歳頃からはほつれた濃い豊かなあごひげをたくわえていた。気質は感情に駆られるところがつよく、短気で、つむじ曲がりで無法なことがよくあった。ぜいたくで、冒険好きで、探求心が強く、才気縦横なおもしろい話をする人でもあった。いつも個人の名誉に敏感で、他人の動機について疑い深く、論争ではことごとく不快を招き、友とするには気むずかしい人物であった。が、それと同時に、やさしい気だてをもち、他人への温かい思いやりを示すことが多く、このことによって親しい人々は彼をいとしく思うのであった。

彼は左利きであり、三叉神経痛と躁鬱病を病んでいて、腎臓病の父から教えてもらったエチルエーテル、アヘンを常用し、後には、カフェイン、アルコール、モルヒネ、コカインにも手を出し、おそくとも40歳ごろには中毒になっていた。この上なく複雑な哲学上の問題にきわめて強い集中力をもって何日間も、ときには何カ月間もぶっ続けで、麻薬の助けをかりながら、取り組むことができた。Sinisterは「不幸な」と言う意味だが、ラテン語の原意は「左」であり、自分の抱える多くの問題は自分が左利きであることによると、パースは考えていた。左利きのお陰で、黒板に、論理学の問題とその答を両手で同時に書くことができたという。パースの教え子の一人、ウィリアム・ペパラル・モンタギューは、こう語っている。

“パースその人について、わたしは一種の崇拝の気持ちをいだいていた。その知性は冷静で明哲でありながら、そのメタフィジカルな想像力は自由奔放にキラキラと輝き、存在全体が非常に豊かで不可思議で普通の人とは別の超人のように思われた”

が、パースの最初の妻ハリエット・メルジーナ・フェイ(パースは二度結婚している、最初の結婚は22年間続いた)が、パースについてこう語っている。

“ハンサムな別世界の人・・・かっこいいなりをした青年。浅黒く、アメリカ人とは見えない風貌。そして強い我意のある表情・・・すごい能力の持ち主。ある種の壮麗さと高貴さの持ち主。彼につれそう女の中には、男とつれそう最上の女、最上の恋人として、心のレベルにおいて、霊魂のレベルにおいて、彼の力をとらえてそれを有益なものに高めた人もいたかもしれない・・・しかし、彼は、もっと物質的で、皮肉屋で野卑であることがわかってくる・・・弱い動物やほとんど同じように弱い女と無慈悲に闘い、そのようにして、自由で力あるアメリカ人として彼に任された関心をそれまでにもまして多く暴露することになる。彼にとっていまや人間性にはなんの神聖さもなく、神は消し去られている”

彼女の弟、ノーマン・フェイは、パースを嫌っていることで有名だが、八十代の終わりごろになってこう語っている。

“パースはとても利己的で、仕事中毒で、その私的な生活を知ったからといってその哲学の理解になにか役立つというような人ではありません”

果たしてそうだろうか。パースの人生と思想は密接に関係づけられていたのではなかろうか。単に、ノーマン・フェイは、パースの私的生活を探索することで、姉や自分たちにとって不都合な点が露見しはしないかと恐れたのではなかろうか。

パースが最も夢中になったのは論理学の研究で、この研究が物事の謎にせまる唯一の有用なアプローチであると解していた。彼にとっての論理学は、機械的な命題表や定理の証明とは全然違うもので、それは実在への唯一のアプローチの方法であった。が、パースは自分には想像力がまったく欠如しており、自分が成し遂げたことは徒歩主義によるがんばりによるものであると述べている。そして、1887年、『謎をとくこと』でこう語っている。

“アリストテレス哲学のようなものをつくること、すなわち、これから長きにわたって、あらゆる学派と種類の哲学、数学、心理学、自然科学、歴史学、社会学、その他あらゆる分野における人間の理性によるすべての仕事がその細部をうめることであるように思わせるような非常に包括的な理論の輪郭を描くこと〔を私は考えている〕”

すごいことばである。パースは、ギリシアの哲学者アリストテレスのように、ギリシアの時代よりもはるかに進歩し複雑になってきている現代において、あらゆる学問の基礎を打ち立てようというのだ。そして、こうも語っている。

“自信満々ということほど、確実にあらゆる知的成長を枯らしてしまう病気はない。そしてこの病気によって有能な人々の99パーセントが不能になってしまうのであるが、そうした人々はいとも不思議なことに、こうした病気にかかっていることに気づいていない。実際、知識の実在性についての強い信念と組み合された悔い改めの気持ちをともなう可謬性と、事態を明らかにしたいという強烈な思いから、私のすべては常に成長してきたように思っている”

また、パースは監督教会の教会員であり、強い宗教的信念を持つ人間でもあった。52歳のときには、教会に入ったときに我を忘れるという神秘体験をしている。「沈思黙考の遊びという方法で神を知ることができる」とも論じている。う~む。善人なのか悪人なのか、天才なのか努力家なのか、科学者なのか神秘家なのか、パースは実に不可解な人物である。

1934年の『アメリカ伝記辞典』において、「アメリカの最も独創的で多才な哲学者、アメリカのもっとも偉大な倫理学者」と紹介されているにもかかわらず、この偉大な哲学者について、どういう訳か、彼の死後80年ほど、まともな伝記というものが存在しなかった。わずかに、ジョゼフ・ブレントが1961年に提出した博士論文にその評伝が述べられているに過ぎなかった。博士論文だから、同じ分野の専門家にさえあまり知られていない。それを、著名な記号論者で、インディアナ大学の言語学記号論研究センター長の任にあったトマス・シービオクが再発見したのだ。そして、ブレントに博士論文を敷衍した評伝を書くよう勧め、出版局にも強く働きかけ、また大学の図書館などにあるパース関連の各種資料を閲覧できるよう手配した。そして、1993年、ブレントによるパースの詳細な評伝が完成したのである。

“CHARLES SANDERS PEIRCE: A LIFE” by Joseph Brent

2004年には、京都女子大学教授有馬道子による日本語訳『パースの生涯』も出た。これで、我々は不可解で偉大な哲学者、パースの謎につつまれた生涯を知ることができるようになったのである。

パース2
2016-07-22 Fri
チャールズ・サンダーズ・パースは、1839年9月10日、マサチューセッツ州ケンブリッジで、ハーヴァード大学の数学と天文学の教授である父ベンジャミン、上院議員の娘である母セアラの二人目の男の子として生まれた。それから、1861年、22歳のときまでのことは、パース自身の「生立ちの記」に簡潔に記されている。

1839年 9月10日 火曜日 出生。
1840年 受洗。
1841年 セイラムを訪れる。このことは、はっきり記憶にある。
1842年 7月31日 はじめて教会に行く。
1843年 結婚式に出席。
1844年 W嬢と激しい恋におちる。そして、私の教育のはじまり。
1845年 クインシー通りの新しい家に転居。
1846年 先生の授業への出席をやめ、ウェアーズ先生の学校へ通い始める。そこはとても楽しい学校で、よく学び、もう一人のW嬢と激しい恋に落ちる。
1847年 非常に深刻な、どうしようもない恋が始まる。化学を始めることで悩みを忘れようとする。これは、長年の経験によって、効き目があるものとしてお勧めの解毒剤。
1848年 町で叔父C・H・ミルズの家に下宿を始める。そして、サリヴァン師の学校に行き、雄弁術の最初の授業をうける。
1849年 ずる休みをして、カエル池で水浴びをして、病気になる。回復の途上でケンブリッジに呼び戻され、ケンブリッジ・ハイスクールに通学を許可される。
1850年 「化学史」を書く。
1851年 印刷機を設置。
1852年 討論クラブに加入。
1853年 放蕩を自称し、悪い生徒になる。
1854年 ハイスクールを何度か放逐された後、優等で卒業。約6カ月間、父と数学の勉強をし、町のディクスウェル先生の学校に通う。
1855年 ディクスウェル先生の学校を卒業し、カレッジに入学。シラーの『美学書簡』を読み、カントの研究を始める。
1856年 二年生。放蕩になるという考えを放棄し、快楽の研究を始める。
1857年 三年生。快楽の研究をやめて、人生を楽しむことを始める。
1858年 四年生。人生を楽しむことをやめて、「空の空なるかな。すべて空なり」と叫ぶ。
1859年 人生で何をなすべきか迷う。メインへ、そしてそれから、ルイジアナへ行く。
1860年 ルイジアナより帰還し、ハーヴァードで試験監督官となる。博物学と自然哲学を研究。
1861年 人生で何をなすべきか、もはや迷わず、自分の目的を定める。

パースが女性と哲学に早熟であったこと、正規の学校教育を無視して放蕩三昧に過ごしたことが分かる。どこか、秋成の若い頃を彷彿させる。また、学問の基本的部分はハーヴァード大学教授である父から徹底的に仕込まれた。まるで、ジェームズ・ミル、ジョン・スチュアート・ミルの親子のようだ。

1858年頃から持病の三叉神経痛を発症する。1859年、パースは合衆国沿岸測量部の副手に任命され(1891年まで33年間務める)、1861年には父の推挙によりハーヴァード天文台のアシスタントの職を得(1872年まで12年間務める)、そして、1863年10月にはジーナと結婚した。パースの長い生活苦の始まりであった。

最初の妻ジーナが保管していた「C・S・パース 1854年の理論」という覚え書きがある。すでに、15歳のころ、独自の哲学理論を構築していたのだ。

【理論1】各人の心にはある一定の基礎があり、それは増えも減りもしない。これは心か記憶でおおわれ充たされうる。そして各人は選択を行ない、その基礎を心か記憶、あるいは情熱か天才でおおうことができる。
【理論2】天才というのは、角をまがって、自分が別世界にいること、天才であることに気づくまで、どこまでもどこまでもどこまでも考えた結果である。天才は推論を超えている。
【理論3】愛は、望ましいあるいは善いものすべての基礎である。
【理論4】生意気―品のよさ―〔知識〕、これら三つは、何をするにも必要な条件である。
【理論5】機知ある人の共感力は最少である。
【理論6】あらゆる真実は無限に延長できるが、あらゆる真実が普遍的原理にまで拡大されると、それは計算できない力の加速度をなす。したがって、特殊な規則が必要となる。
【理論7】品のよさは、力強く大胆な雄大さとくつろいで整理された単純さが多様に組み合わされたものからなっている。
【理論11】「意志は・・・を意志する。」空所をあなたの意志で埋めよ。

ところで、パースを知るには以下の文献を読めばいいのだろう。だが、秋成同様、読めば読むほど謎が深まるはずだ。

パースの著作集(全8巻)
Collected Papers of Charles Sanders Peirce, 2 vols(1931-1935、1958)

パースの数学関連著作集(全4巻)
The New Elements of Mathematics by Charles S. Peirce, 4 vols(1976)

パースの哲学関連著作集(全2巻)
The Essential Peirce: Selected Philosophical Writings, 2 vols(1992-1998)

パースの全集(全30巻、未完)
Writings of Charles S. Peirce: A Chronological Edition(1982-)

パース著作の翻訳本
『偶然・愛・論理』 浅輪幸夫訳、三一書房(1982)
『パース著作集』 1~3、勁草書房(1985-1986)
『連続性の哲学』 伊藤邦武訳、岩波書店(2001)

パース研究書
R.J.バーンシュタイン編『パースの世界』 岡田雅勝訳、木鐸社(1978)
米盛裕二 『パースの記号学』 勁草書房(1981)
伊藤邦武 『パースのプラグマティズム』 勁草書房(1985)
ウィリアム H. デイヴィス 『パースの認識論』 赤木昭夫訳、産業図書(1990)
岡田雅勝 『パース』 清水書院(1998)
有馬道子 『パースの思想』 岩波書店(2001)
ジョゼフ・ブレント 『パースの生涯』 有馬道子訳、新書館(2004)
伊藤邦武 『パースの宇宙論』 岩波書店(2006)
米盛裕二 『アブダクション』 勁草書房(2007)
新茂之 『パース「プラグマティズム」の研究』 晃洋書房(2011)

パース3
2016-07-23 Sat
1900年11月、『哲学・心理学辞典』を編集していたジェイムズ・マーク・ボールドウィンがチャールズ・サンダーズ・パースに執筆を依頼してきた。パースはプラグマティズムの項目を書くのに、ウィリアム・ジェームズに手紙を出して質問している。

“用語についていろいろわからない点が出てきた。プラグマティズムという用語をはじめて用いたのは、私の方だったろうか君だったろうか”

ウィリアムの返信はこうだ。

“君が「プラグマティズム」をはじめて創り、そのことについては「哲学的概念と実際的結果」と題する講演で私は全面的に認めており、それを二部二年前君に送っているよ”

この二人の手紙の応答から、パースが「プラグマティズム」を最初に提唱したのは間違いない。パースが「プラグマティズム」の概念について語った場面について、ウィリアムの教え子が師から聞いた話として、こう語っている。

“チョーシー・ライト、ジョン・フィクス等がメンバーであった哲学クラブで、パースが論文を発表することになっていた・・・二頭立ての馬車がやってきて、黒っぽいマントを羽織ったパースが馬車から降りてきた。彼は入ってくると論文の発表を始めた・・・パースが述べたことはいかにして一刻一刻が次々とやってきてそれが習慣となってゆくかということであった”

ここで、「哲学クラブ」と呼ばれているのは、1870年代初頭に、マサチューセッツ州ケンブリッジで、上記メンバーに加えパースやウィリアムたちが時々集まって形而上学の討議を行った集りのことである。

ウィリアムは「思考の究極目的は行動である」としていたが、パースの考えは違う。パースは、最終的には思考は行動に適用されるのだが、その結果よりもそのシネキズム(連続性)としての過程を重んじていたので、1905年以降、自分の考えを「プラグマティシズム」と呼び直している。

“Pragmaticism was originally enounced in the form of a maxim, as follows: Consider what effects that might conceivably have practical bearings you conceive the objects of your conception to have. Then, your conception of those effects is the whole of your conception of the object.

I will restate this in other words, since ofttimes one can thus eliminate some unsuspected source of perplexity to the reader. This time it shall be in the indicative mood, as follows: The entire intellectual purport of any symbol consists in the total of all general modes of rational conduct which, conditionally upon all the possible different circumstances and desires, would ensue upon the acceptance of the symbol.“

“あらゆる記号の知的な意味全体が、考えられうるすべての異なる環境および要求という条件付きではあるが、記号の受容に続く合理的な行為のすべての一般的様式全体となるものである。”

「プラグマティシズム」の再定義の部分を訳してみたが、やはり難解である。万能の天才であったパースであるが、彼自身も認めているように、自分の考えを分かりやすく語る文才だけはなかったようだ(パースは自分の言語表現の無能さを左利きのせいにしている)。英語の不得手な外国人にも分かりやすいような表現で書いてくれていたら、もっと多くの人に彼の考えが理解されたと思うのだが。

ところで、ウィリアム・ジェイムズには、ヘンリー・ジェイムズ(著名な小説家)という弟がいて、その弟と、1876年、パリで、パースは測量部の仕事(パースは30年間この測量部の仕事で生計を立てながらそのあいまをぬって哲学していた)が暗礁に乗り上げていたころ、何度か会っている。パースは、兄のウィリアムに手紙を出して、その時の様子を報告している。

“弟さんにしばしばお目にかかっています。素晴らしい男だね。大好きだけど、気づいた点が二つだけある。一つは彼の胃はアメリカダチョウのように強いとは言えないこと。そしてもう一つは、僕のように問題をいろんな方向から考えてもてあそぶことを好まずに、問題を解いて決着をつけてしまうのが好きだってことだね。男らしい断固とした態度であるが、哲学的な態度じゃないね”

パース4
2016-07-24 Sun
チャールズ・サンダーズ・パース(愛称チャーリ)とハリエット・メルジーナ・フェイ(愛称ジーナ)の結婚は、1863年の結婚当初から問題をはらんでいたが、1876年、夫婦でのパリ出張中にジーナが一人先に帰国した時点で決定的となった。そして、この頃、ワシントン広場にあるホテル・ブラヴォートの大舞踏会で、パースは後に二番目の妻となるジュリエット・プールタレ夫人と知り合っているらしい。

1879年、40歳になったパースは、ジョンズ・ホプキンズ大学のあるボルティモアに単独引っ越し、振り子の測点をアリゲニー山脈のエベンズバラからボルティモアに近いペンシルヴァニア州のヨークに移した。そして、測量部での振り子の実験の傍ら、ホプキンズ大学で論理学の非常勤講師として教鞭をとった。教師としては天性のものがあり、1883年には学生たちと共同で独創的な『ジョンズ・ホプキンズ大学論理学研究』を出版している。彼の名前はタイトルページに記されておらず、学生の研究の手柄を自分のものにすることはなかった。当時の学生の一人、ラド=フランクリン女史はホプキンズでの経験とパースについて、次のように回想している。

“パース先生は・・・すわって、一握りの少数の学生たちに向かって話して下さったのですが・・・くめどもくめども尽きることのない泉のようなところから、今現在、真新しい真実を直観的にくみ出している哲人そのものといった雰囲気がありました。それは・・・深く創造的に冷静にそして熱烈に真実を求めている一人の人間を目の前にしているという印象からかもし出されてくるものでありました。・・・講義の向かう方向は常軌を逸しており、とても見当のつくようなものではなく、その結果、あるとき講義の終わりになって、私たち学生をよろこばせたことには、メタフィジカル・クラブをつくろうという提案がなされたほどでした。そして、先生はそのときの講義の冒頭において、メタフィジックスとは「はっきりしない考えについての科学」であるという定義を下しておられるのです”

しかし、彼の望んだ学究生活は長くは続かなかった。1876年以降のジーナとの別居生活、1880年の父の死去、1881年の沿岸測量部監督パターソンの死去はパースのキャリアの崩壊と生活の破綻を加速した。1883年4月24日、ジーナとの離婚が成立した二日後、パースは謎のフランス女ジュリエットと正式に結婚した。二人とも再婚である。そして、1884年に突然ホプキンズ大学から解雇されたのである。しかも、1891年12月には自分の義務(振り子研究の報告書作成)の怠慢から沿岸測量部を強制退職させられ、彼は生活基盤をなくしてしまい、彼の世界は激変した。パースはしばしば子供のように世間知らずのへまを犯し、あつかいにくい尊大な態度で多くの人たちを敵に回していった。しかも、パースは三叉神経痛、ジュリエットは深刻な婦人病と、夫婦二人とも持病を抱えているのである。悲惨な末路をたどることは火に見るより明らかだった。それでも、パースは、アリストテレスにおけるアレキサンダーのような、学究生活を送る上でのパトロンが現れるのを信じていたという。

以後、パースとジュリエットは、二人に残された遺産や不動産と、パースの『モニスト』、『ネイション』等でのわずかな稿料による極貧生活を、贅沢な習性を変えることなく送ることとなった。それでも、能天気なパースは、億万長者を夢見て、自分の発明した電気分解漂白の事業化、自分が特許を持つアセチレンガス発生器の商品化など、何度か投機事業を試みているがことごとく失敗している。収入が稿料だけとは、秋成の晩年とそっくりである。ただし、秋成は浪費家ではまったくなく、煎茶のみを嗜み、最後は栄養失調に陥っていたぐらいである。

ところで、ジュリエットと結婚した後も、パースは、先妻ジーナも気づいていたラッドファド夫人との怪しい関係を続けており、さらにヨーロッパへの出張の際には、オランダ娘と同伴で帰国したりもしている。しかも、ジュリエットに精神的、肉体的虐待さえも加えているようなのだ。召使へ暴行殴打を加えたことも幾度かあり、裁判になったこともある。相変わらず、家計には無頓着で、金使いは荒い。これらの奇行は、一概には言えないのだが、彼の神経痛や鬱病への対処として使用したコカインの副作用であった可能性が高いという。パースが、1891年12月18日に測量部の辞職勧告に対して出した回答がある。彼の精神的病いの進行している様子が垣間見える。

“その頃以来、頭を猛烈に使った後にはおそらくいささか精神の変調をきたしているのではないかと思っています。自分でもそのしるしがあるのがわかります。例えば先日手紙に「トマス・ウォナメイカー」と書いたときがそうです。また別のとき、いく度か、妻は私が気づかないでばかげたことをしていると申しております。・・・しかし最近は、ある一定の方面に奇妙な弱点が昂じているのです。・・・自分のした計算が全部ごちゃごちゃになっているのに気づきました。・・・複雑な計算で混乱する傾向は強くなりました。・・・ある種の数学については、ほとんど読めなくなりました。しかし、大抵の人々にはもっとむずかしい他の種類のものは、ほとんどむずかしいとは思わないのです。困難が大きければ大きいほど、そう思わないのです”

1895年2月。パースの窮状は、「一枚のクラッカーとわずかなオートミール」しかない状況となっていた。パースの兄、ハーヴァード大学教授ジェイムズ・ミルは同大学教授のウィリアム・ジェイムズに対して就職の斡旋を頼んでいる。

“チャールズに科学、文学、哲学の仕事をする力があり、その仕事への献身ぶりにかかわらず学界の注意をひかずその成果が報われないことには、ほんとうに驚いています。彼の判断や気性が常軌を逸していることや、そのパーソナリティが普通のものに抗するところがあることはすべて認めるとしても、一般受けする才能はもたなくても知的独創性を示す者に誰一人として型どおりの励ましすら与えようとしないのは、この国では知的真実を心から愛すること、ヨーロッパでは見られる知的規範に普通一般に敬意を表すことすらが、欠けている歴然とした証であると思います。・・・彼は何よりもどこかの大学で教えるのにふさわしい人物です。研究者についてのほんとうの価値のあるものをもっているのです。心の自由が必要ですが、それを与えることができるのは俸給以外にありません”

これを受け、ウィリアム・ジェイムズは、学長にパースの宇宙論コースを担当させるよう推挙したが断られた。が、後年、学外の個人宅ではあるが、1898年2月10日から3月7日までの連続講演として実を結んだ。タイトルは「推論と事物の論理」で、以下の演題が含まれていた。

① 哲学と生活態度
② 推論のタイプ
③ 関係論理学
④ 論理学の第一原則
⑤ 推論の練習
⑥ 原因と力
⑦ 習慣
⑧ 連続性の論理

この講演の内容は、1992年にHarvard University Pressから、“Reasoning and the Logic of Things”として刊行されている。②と⑤を除いた訳が2001年に岩波文庫から出ている。伊藤邦武編訳『連続性の哲学』であるが、パースが最も重要視していた分類のところと練習問題が割愛されているのが残念である。

パース5
2016-07-25 Mon
“第一は他の何にも頼らずにそれだけで存在する、すなわち、在るという考えである。第二は他の何かに反応して、すなわち、他の何かとの関係にあるという考えである。第三は、第一と第二を関係づける媒介という考えである。・・・他とつながるのではなくてそれ自体としての事物のはじまりには第一の考えが含まれ、事物の目的には第二が含まれ、それらを媒介する過程には第三が含まれる。・・・心理学においては感情は第一、反応の感覚は第二、一般的概念は第三すなわち媒介である。生物学においては、不定の偶然性は第一、遺伝は第二、偶然性が定着する過程は第三である。偶然は第一、法則は第二、習慣獲得性は第三である。心は第一、物質は第二、進化は第三である。”

上は、1891年1月から1893年1月まで、『モニスト』誌に発表されたパースの5編の論文の中の第一論文「理論の構築」からの引用である、パースのもっとも有名なフレーズだ。第一次性、第二次性、第三次性という論理的カテゴリーを新しい形式の普遍構築用ブロックとして導入したものである。第二論文と第三論文の間、1892年春、パースは神秘体験をしている。それをきっかけに、スウェーデンボルグの神の愛による悪創造や仏陀の苦痛を除く方法としての八正道に共感を示している。したがって、第一、第二論文と第三論文以降のトーンは全く違っている。第三論文以降、神秘主義のよそおいが濃厚になっていくのである。

“「神の実在性」という仮説の光によって、三つの宇宙を考え、科学のひたむきな心でその方向に沿って考えを進めてゆくならば、正常な人であれば誰でもその考えの美しさとその荘厳な実用性によって自分の本性の深奥まで動かされ、遂にはその厳密に仮説的な神を一心に愛し崇拝するまでにさえなり、とりわけ生活のすべての行為と行動のあらゆる源をその仮説に合せたいと望むまでになるだろう”

そして、1902年、パースにとって自らの論理学を体系づけて著す絶好の機会が到来した。カーネギー財団の助成金である。パースは応募し、多数の有識者が推薦状を書いてくれた。当時国務省副長官をしていた弟ハーバートのお陰で、大統領のローズヴェルトからも賛成する旨の手紙が届けられた。が、サイモン・ニューカムという一人の愚鈍だが大きな政治力を持つ天文学者の反対により、翌年3月、実行委員会は助成を見合わせた。ニューカムはパースの父の教え子で、パースとも多くの書簡を交わし、何度もパースの邸宅の客となっていた人物である。敵は身近にいたのである。「パースは過去にジュリエットと不純な関係にあり、道徳的に問題がある上に、精神的に不安定で、横柄で、無責任で、破綻した放縦な人格であり、助成するには適切性を欠く」として否決されたのだ。が、本当は、ニューカムがパースの仕事を評価する能力がなかったことと、パースの天才への嫉妬からきていたらしい。20年前にパースがホプキンズ大学辞任に追い込まれたときもニューカムがからんでいたという。

パースの哲学の集大成となるはずだったカーネギー財団助成金への応募の願書が残っている。「36ばかりの論文の記録で、一つ一つがそれ自体で完成したものでありながら、それらすべてが全体の部分となって統一された論理学体系を形成しているようなもの」で、以下の36の論題からなる予定であった。

1. 理論科学の分類について
2. 最も単純な数学について
3. 数学概念の分析
4. 数学的証明の方法の分析
5. 現象の三つのカテゴリーの質について
6. 反応の諸相におけるカテゴリーについて
7. 媒介の諸相におけるカテゴリーについて
8. 歴史的なカテゴリー表の検討
9. 美学と倫理学の論理学との関係について
10. 論理学の前提について
11. 心の論理学的概念について
12. 論理学の定義について
13. 論理学の分割について
14. 論理学の真実を発見し確立する方法について
15. 元素論の性質について
16. 元素論の一般的原則
17. 名辞について
18. 命題について
19. 論証について
20. 批判論理学一般について
21. 第一前提について
22. 偶然の論理学
23. 帰納の妥当性について
24. アブダクションの正当化について
25. 混合論証について
26. 誤謬について
27. 方法論について
28. 研究の経済性について
29. 研究のコースについて
30. 学説の体系について
31. 分類について
32. 観念の定義と明晰性について
33. 客観的論理学について
34. 自然の普遍性について
35. 形而上学について
36. 時間と空間の実在と性質について

失意のパースに対して、ハーヴァード大学哲学教授でパースの親友であるウィリアム・ジェイムズが再び救いの手を差し伸べた。学長を説得し、ハーヴァード構内でのパースの連続公演を実現させたのである。1903年3月26日~5月15日、パースは「正しい思考の原理と方法としてのプラグマティズム」と題する七つの連続講演を行ったが、当のウィリアムが講演の内容を理解できず、講演の刊行を見合わせてしまった。だから、今、我々はその講演の内容を知りえないのである。なんともったいないことか。

パースの晩年は貧困との闘いだった。1907年1月、パースはケンブリッジの下宿屋で、1週間にパン一個と1ドル70セントの生活を強いられ、ついに栄養失調で倒れていたのを発見されている。発見者がたまたまウィリアムの教え子だったからよかった。連絡を受けたウィリアムが駆けつけ、パースを自宅に連れて帰ったという。その後、ウィリアムは友人や親族に呼びかけ、パース救済の基金を作り、年間1000ドル近くを集め、小分けにして二週間ごとにエリザベス夫人に送金することにした。

1904年、フランソア・ラッセルに宛てた手紙で、パースは自分の人生を振り返り、こう書いている。

“真剣によく考えてみて、哲学によく精通していて自分自身一個の思想家である六十五歳の男は、稀有なる馬鹿者でないとすれば、他の誰よりも自分がどのようなものであるかわかっているに違いないわけで、私は自分はほぼライプニッツと同列にあると考えています。・・・私は生まれつき非常に不正確なところがあり、ほとんどまったく想像力に欠けている点では普通とはとても言えないということ、そして私の成し遂げることはそれが何であれ、次の二つのことによるということです。第一は瓶の中に閉じ込められたスズメバチのような頑張り、そして第二は若い頃に幸運にも偶然見つけたある思考の方法(1867年の「新カテゴリー表」のこと?)です――この方法は知性のある人なら誰でも理解することができると思われるもので、発見時以来、未だ汲み尽せずにほとんど最初の状態のままにあるため、これから何世紀もの間、ある種の考えがそこから引き出せると思われる大きな貯水池のようなものです”

自分をライプニッツと同列においた一個の思想家チャールズ・サンダーズ・パースは1914年4月19日日曜日の夜9時30分、ペンシルベニア州ミルフォードにあるアリスベの邸宅で亡くなった。ジュリエットはパースの死後もアリスベにとどまり、20年後の1934年10月4日に亡くなった。

偶然・愛・論理
2016-07-26 Tue
“Chance, Love, and Logic”は、1923年、パースの死(1914年)後最初に刊行された彼の哲学論文集である。本書は二部からなり、第一部は、1877~78年、『通俗科学月報』に「科学の論理の例証」というテーマで掲載された6つの論文からなる、パース30代末の著作である。第二部は、1891~93年、『モニスト』に形而上学的体系構築のための試論として発表された5つの論文からなる、パース50代前半の著作である。日本では、1966年刊の河出書房『世界の思想14』と1968年刊の中央公論社『世界の名著48』にその一部が翻訳され、1982年、三一書房から浅輪幸夫による全訳が『偶然・愛・論理』として出版された。

以下、『偶然・愛・論理』の第一部「偶然と論理―科学の論理の例証」を要約してみる。

疑念が刺激となって、信念に到達しようとする苦闘が始まる。パースはこの苦闘を探求と名づける。疑念の休止とともに探求はおわる。したがって、探求の唯一の目標は意見の確定にある。ところが、信念を固める方法には、従来から宗教上よく用いられる「固執の方法」、国家権力で好んで採用される「権威の方法」、哲学者が理性に適っているとする「アプリオリの方法」があったが、パースはこれらの方法の利点を認めながらも、すべての人の究極的結論の一致には導かないとして、これらを科学的な方法ではないとしている。

それでは、パースのいう「科学の方法」とはいかなるものかというと、それがプラグマティズムの方法なのである。これは、理解の明晰さに到達するための方法であり、以下のように規定している。

“われわれの概念の対象が及ぼすとわれわれに考えられるもろもろの効果を、しかも実際に関わりがあると考えられるかぎりでのそうした効果をとくと考えてみよ。それらの効果についてのわれわれの概念が、すなわちその対象についてのわれわれの概念のすべてである”

パースは、「科学の方法」の一例として、力の概念について説明している。そのあとで、「力の効果は正確に理解しているが、力そのものがなんであるかは分からない」と述べている『解析力学』の著者に異論を唱える。パース曰く、「力という語がわれわれの精神のうちに呼び起こす観念は、われわれの行動に影響を及ぼす以外いかなる機能ももち合わせていないし、また、われわれの行動は力の効果を介してしか力と関わりをもつことができない。したがって、力の効果がなんであるかを知れば、われわれは力が存在するという発言のうちに含まれているいっさいの事実に精通していることになり、それ以上知るべき事柄はなにもないのである。」

そして、この方法を応用したパースの「真理」と「実在」に対する定義は以下のように明快である。まことにプラグマスティックである。

“探求を行う人たち全員によって、究極的に同意される運命にある意見が真理であり、その意見のなかに表現される対象が実在である。”

ところで、論理学で用いられる推論には、パースによると、演繹的で分析的推論(deduction)と総合的推論があり、総合的推論には帰納(induction)と仮説形成(abduction)がある。帰納は一組の事実からもう一組の類似の事実を推論することであり、仮説形成はある種の事実から別種の事実を推論することである。したがって、演繹では規則と事例から結果を推論し、帰納では事例と結果から規則を推論し、仮説形成では規則と結果から事例を推測する。

【演繹】
規則――この袋の豆はすべて白豆である。
事例――これらの豆はこの袋から取りだされた。
結果――これらの豆は白豆であろう。

【帰納】
事例――これらの豆はこの袋から取りだされた。
結果――これらの豆は白豆であった。
規則――この袋の豆はすべて白豆であろう。

【仮説形成】
規則――この袋の豆はすべて白豆である。
結果――これらの豆は白豆である。
事例――これらの豆はこの袋から取りだされものであろう。

演繹によって、習慣はある特定の機会に特定の反応を喚起するという機能を遂行する。帰納によって、同一の反応を伴う多数の感覚作用が、その同一の反応を伴う一般的観念のもとに統合される。仮説形成によって、一つの機会によって誘発される多くの反応が、その同じ機会によって喚起される一般的観念のうちで統合される。

例えば、水が熱によって膨張するのを知って、異なる温度で一定量の水をたくさん観測すると、水の体積と温度の関係が近似的に導き出せる。これが帰納である。ナポレオンという征服者について記述した記録と記念碑が多数残っていることから、かつてナポレオンが実在していたと推論する。これが仮説形成、アブダクションである。

仮説的結論は帰納的には推論できない。帰納は規則を推論する。規則に関する信念は習慣である。すべての信念は習慣の性質を帯びる。したがって帰納は習慣の形成という生理的過程を表す論理的公式となる。一方、仮説的推論は情動による感動を含んでいる。仮説形成は思想の感性的要素を、帰納はその習慣的要素を生みだすのである。

偶然・愛・論理2
2016-07-27 Wed
以下、『偶然・愛・論理』の第二部「愛と偶然―形而上学的体系構築のための試論」を要約してみる。

哲学の歴史を観ると、デカルトの唱えた物心二元論から近代の哲学がスタートし、やがて物心合一の一元論に向かった。一元論は、パースによると三つの選択肢がある(パースは“三”が好きである)。

① 中立論:物理法則と心的法則が独立的である。
② 唯物論:物理法則が原初的で心的法則は派生的、特殊的。
③ 観念論:心的法則が原初的で物理法則は派生的、特殊的。

パースは、宇宙に関する唯一理解可能な理論として観念論に与する。そこでは、物質は活力を失った精神であり、常習化した習慣が物理的法則になると説かれている。パースは、観念論によって空間の本性を探り、宇宙の進化の三つの可能性に達した。

① 三角形の三つの角の和が180度である空間→境界がなく大きさが無限の宇宙
② 三角形の三つの角の和が180度より小さい空間→大きさが無限だが境界がある宇宙
③ 三角形の三つの角の和が180度より大きい→限界はないが大きさが有限の宇宙

この三つの可能性のうちのいずれであるかは、地球の公転軌道の直径の両端で測定した遠くの恒星の角度の視差からも分かる可能性がある。①や③の宇宙では視差がマイナスになることはないが、もしもマイナスであれば②の宇宙となる。パースのころの視差の測定結果でマイナスとなるのが40例中2例あったそうだが、それは測定誤差の範囲内であったので、まだ決定的なことはいえないとし、20世紀中には結論が出るだろうと予言している。

また、パースは、論理学のいたるところに三つの概念が姿を見せるとし、その三つを第一、第二、第三の概念と呼んでいる。

① 第一の概念:他のいっさいから独立して存在する概念
② 第二の概念:他のなにかと相関的に存在するという概念
③ 第三の概念:第一のものと第二のものを関係づける媒体の概念

以下のその例:
【観念】
第一:事物の起源
第二:事物の終末
第三:そのあいだに介在する過程

【心理学】
第一:感情
第二:感覚
第三:一般的概念

【進化論】
第一:恣意的変種形成(偶然)
第二:形質遺伝(法則)
第三:その偶然的形質が固定化される過程(習慣獲得)

【宇宙論】
第一:精神
第二:物質
第三:進化

次に、パースは偶然性の問題に入る。必然論者は、宇宙は法則によって規定されていている、と主張するが、これでは、宇宙のもつ多様性や不規則性を説明できない。パースは、偶然的要素によって、日々、宇宙の多様性や不規則性が創生されているとするのである。精神の場合も同様で、常にある程度の気まぐれな自発性が残されており、それがなければ、精神は死んでしまう。偶然というものは、内的には感情といわれるものの外的位相にすぎない。多様化は偶然=自発性の痕跡であり、多様性が増大しているところでは常に偶然が働いており、一方、一様性の増大するところでは必ず習慣が活動している。

次に、パースは連続性の問題に入る。パースは主張する。現在は実在する無限小の間隔の連鎖によって過去と連結している。有限の時間ではないこの無限小の間隔のうちにおいて、主観的な意識は連続的である。意識は持続という属性をもった主体であり、意識の対象もまた連続している。無限小の間隔のうちに直接的感情として知覚するのである。無限小の間隔を重ねて有限時間の過去までさかのぼって知覚することは可能だが、この最後の瞬間はこの連続した時系列からは除外される。というのは、最後の瞬間がそれ自身を再認することは絶対不可能だからである。

ある一つの面が赤い部分と青い部分から成り立っているとすると、その赤い部分と青い部分の境界の色はどんな色か。パースは半分が赤で半分が青だと言う。これと同じことが、意識の時間についてもいえる。現在とは半ば過ぎ去り、半ば到来しつつあるものであるのだ。

精神の法則と物理的力の法則の大きな相違点は、精神では現在は過去によって影響を受けるが未来によっては影響を受けないのに対し、力は時間の相反する方向のあいだに何らの違いもないことである。物質は精神の退化したものとみなせる。

そして、パースは神の愛の問題に入る。ヨハネは「神は愛である」と言う。さらに、「神は光であって、神には少しも暗いところがない」と言う。したがって、神を信じるものすべてに神の愛が注がれる、とパースは解釈する。また、「黄金律」というのがある。パースの解釈はこうだ。「きみの隣人たちの完成のためにきみの完成を犠牲にせよ」ということだと。これは、もう親鸞のいう摂取不捨であり、往還廻向ではないか。パースがこの論文を書いたころに教会で神秘体験したように、親鸞も六角堂で神秘体験をして他力の浄土宗に入信している。

19世紀の確信である「貪欲の福音」では、あらゆる個人が自分自身のために全力を尽くして機会があれば他人を踏みにじることによって進歩が生じると説くが、「キリストの福音」は、すべての個人がその個人性を滅して隣人に共感することから進歩が生まれると説く。パースは「キリストの福音」を熱烈にひいきにする。そういう強烈な感情を持つ自分はセンチメンタリストであり、「感じやすい心の自然な判断に対して大いなる敬意が払われるべきだ」と主張する者だと、言い放った。

最後に、パースは人間の思想の発展の問題を取り上げる。思想の発展として考えられる様式には以下の三つがあるとする。

① 偶然的発展
② 必然的発展
③ アガペー的発展

この三つの様式とも歴史上に現れたことがある。例えば、キリスト教勃興期は偶然的発展であり、日本の明治維新は外因による必然的発展であった。が、思想の発展に最も大きく貢献しているのはアガペー的発展であると、パースは推論する。やはり、神秘体験を通して、パースは偶然よりも愛を重視するようになったようだ。

連続性の哲学
2016-07-28 Thu
1992年にHarvard University Pressから、“Reasoning and the Logic of Things”として刊行されたパースの哲学論文集は、パース50代最後の年の1898年2月10日から3月7日まで、マサチューセッツ州ケンブリッジの市内の個人宅(ハーヴァード構内では拒否されたため)で開かれた連続講演の内容を、パースの原稿をもとに再構成されたものである。タイトルは「推論と事物の論理」で、以下の8つの演題が含まれていた。

① 哲学と生活態度
② 推論のタイプ
③ 関係項の論理学
④ 論理学の第一原則
⑤ 推論の練習
⑥ 原因と力
⑦ 習慣
⑧ 連続性の論理

日本では、2001年、伊藤邦武編訳で『連続性の哲学』として岩波文庫から出版されている。ただし、訳者の判断で、②と⑤が除外され、③と④の順番が入れかえられている。残念である。

【哲学と生活態度】
・人間の生にとって理性は本能ほどには重要でない
・理性は経験から生まれる
・本能や感情の発展は内省や逆境などの内的、外的経験から生じる
・科学における発見のためには実践上の有用性を関心の外に置くこと
・諸科学の序列:
・数学→哲学→法則的科学→分類的科学→記述的科学→応用科学
・数学はすべて仮説にもとづいている
・数学の目標は実在する潜在性の世界を発見すること
・哲学には論理学と形而上学がある
・論理学は思考の科学であり、形而上学は存在の科学である
・形而上学は探求の過程において論理学を導きの糸とする
・論理学は数学によって導かれる
・法則的科学:心理学、力学
・分類的科学:言語学、人類学、化学
・記述的科学:歴史、地質学、天文学、地理学、水文学、気象学
・応用科学:倫理学、宗教、法学、冶金、料理等350種以上
・諸科学が人間の生への影響力をもつのは理念的で永遠的な真実であるからである

【関係項の論理学】
・推論を行うには、トポロジーと関数論を含む現代幾何学の知識が必要
・推論は演繹、帰納、仮説形成の三つのタイプからなる
・論理学とは記号の研究である
・記号は三つのカテゴリーの第三性(解釈する思考)である
・第一性は物である限りの物、「質」
・第二性は他の物と相互作用する限りの物、「関係」
・第三性は他の物を第三者に表象する限りでの物、「表象」
・第四性以上があっても第三性までの組合せに分解できる
・普通の論理学では類似性の関係しか考察しない(第一性のみが対象)
・関係項の論理学では関係一般も考察の対象とする
・普通の論理学では「類」を、関係項の論理学では「体系」を考察する
・数多性がその最大の可能性に達するときに必然的に連続的になる
・したがって、関係項の論理学によると、連続体こそ真の普遍者となる
・実在が存在するとすれば、推論の過程に対応する何ものかが存在する
・そして、世界は「出来事の論理」のなかで生き、動き、現に存在する
・真に普遍的なもの(真の連続体)はすべて生きた、意識をもった存在である
・宇宙は全体として一つの連続体をなしている
・この宇宙はその中に非連続的に印をつけた一個の宇宙にすぎない
・観念はそれ自体が一個の連続的体系である
・思考における、感情における、行為における一般化、連続的体系の豊かな拡がりこそが、人生の真の目的である

【論理学の第一原則】
・人が研究において何ほどかの成功を収めるためには、その人の心は自分の現在の知識の状態にたいする不満の意識で一杯になっていなければならない
・推論の第一の規則は、人が何かを学ぼうと欲すること、心が傾いている考えに満足してはならないということである
・探求の道を塞ぐ思想
・絶対的な断言
・いくつかの事柄を絶対不可知と主張すること
・ある要素が根本的かつ究極的でありそれ以上の説明が不要との主張
・法則や真理が最終的で完全な定式化を与えられていると主張すること

【原因と力】
・アリストテレスの四つの原因:
・「質量」現実の存在を負っているもの
・「形相」本性を負っているもの
・「作出原因」先行する時点から作用を及ぼすもの
・「目的原因」未来の時点から作用を及ぼすもの
・ジョン・ステュアート・ミル:「原因はある結果が生じるための全状況の集合」
・因果性の原理は精神世界には当てはまるが、力学の世界では成立しない
・エネルギー保存則では、過去が未来を、未来が過去を決定する
・精神の世界では、未来が過去を決定することはない
・法則が法則を生み、偶然が偶然を生む
・が、法則の最初の萌芽である第一者それ自身は偶然から生まれる
・したがって、偶然こそが第一性である
・直線とは作用を受けない粒子の経路である
・等しい距離とは等しい時間内に粒子が描く空間のことである
・空間の次元は四次元でなければならない
・偶然が永久的な変化を生みだすのは時間の各瞬間どうしの独立性による
・時間は現在という特別な瞬間において非連続的な点をもつ
・知的発展が可能なのは行動において誤りの可能性があることによる
・時間とは論理そのものが客観的な直観に対して姿を現す形式のことである

【習慣】
・一般観念が繰り返し生じ、その有用性が経験されて一個の習慣が形成される
・精神作用の五つの特徴:
第一:個々の観念は放っておかれるとどんどんぼんやりとなる
第二:意識において連合された二つの観念は、鮮明な方は鮮明さを減少させ、ぼんやりした方は鮮明さを増す
第三:意識における観念の示唆は、一方の観念が他方に作用するのに適当な結びつきがたまたま生じたときにのみ起こる。
第四:二つの観念の連合が強化され、より鮮明な観念がぼんやりとした観念を呼び出す可能性がさらに大きくなる
第五:連合が強化されると、鮮明であった観念がもともともっていた別の観念との連合作用はさらに弱いものとなる
・自然法則は進化の結果である、例えば、
・光の速度(3億cm/s)は時代とともに速くなり今の値になった
・重力加速度(980.1037㎝/s/s)は時代とともに強くなって今の値となった
・宇宙の諸法則は、一切のものが一般化と習慣獲得へと向かう普遍的な傾向性のもとで形成されてきた
・空間は連続体であるがゆえに第三性で、本性と機能は第二性に関わりをもつ
・空間は粒子の作用・反作用(第二性)の舞台である

【連続性の論理】
・幾何学の歴史
・メトリックス(計量論)←最初期のギリシアの数学者
・オプティックス(=射影幾何学)←ユークリッド
・オプティックスの復活、六点の対合←デザルグ
・トピックス(=トポロジー)←リスティック、1840年代
・メトリックスはオプティックスの特殊問題にすぎない←ケーリー、1859年
・万物の創造の原初の根源的な要素は、自由、偶然、自発性である
・これによって「何も個別的でないもの」が多くの確定した質へと進化
・これらの質どうしの間で偶然的な相互作用をしてさらに進化
・私の理論については偶然主義よりも連続主義(シネキズム)と呼んでほしい
・黒板に白いチョークで一本の線(印)を描く。黒板に非連続が生じ、白い面と黒い面が作用しあう。白さは第一性であり、黒と白の境界は黒でもなく白でもなく、両方でもなく、どちらでもないものでもない。それは白にとっては黒の能動的な第二性であり、黒にとっては白の能動的な第二性である。このような印によって宇宙の原初も分割されたのである。印が描かれるだけではそれ以上の進歩が生じない。進歩が生じるためには、この印がしばらく留まって、何らかの初歩的な習慣が確立されなければならない。この習慣から整合性への傾向が生まれる。すると別の線も描ける。このようにして、多数のプラトン的世界が存在することになり、その中のひとつで最終的に分化し具体化したのが、われわれのこの現実の宇宙ということになる

以上、パースの「推論と事物の論理」と題された講演の内容を、要点を列挙する形で記したが、どこまで理解できたか自信がない。パースの中にニュートンとカントとオイラーが潜んでいて、かわるがわるに登場してきて各自の専門を語っているような講義なのだ。本当に刺激的なのだが、難解ホークスなのだ。

記号学
2016-07-30 Sat
パースは記号学についてまとまった著作をしていない。したがって、パースの書き散らかした論述を拾い集めて来なければならない。そうして成ったのが、1985~86年に勁草書房から発行された『パース著作集』全三冊の中の二番目の本『記号学』である。パースの著作集(全8巻)“Collected Papers of Charles Sanders Peirce”(1931-1935、1958)から抜粋したものの編訳である。以下、要点を記す。

【記号の分類】
・記号は「対象」を表意し、「対象」について語る
・もとの記号が作り出す記号を「解釈項」と呼ぶ
・記号は、解釈項が心の認知であるところの表意体である
・記号の三項関係
・第一項(比較):質・特性・可能性
・第二項(遂行):実働存在者・対象・事実
・第三項(思考):一般法則・解釈項・理性
・記号の三つの三分法
・記号が質であるか実働存在者であるか一般法則であるかによる
・性質記号、単一記号、法則記号
・記号自身の特性か、対象との現存的関係か、解釈項との関係かによる
・類似記号、指標記号、象徴記号
・解釈項の表意が可能性なのか、事実なのか、理性なのかによる
・名辞的記号、命題的記号、論証
・記号の十個のクラス:
(Ⅰ)名辞的類似的性質記号
(Ⅱ)名辞的類似的単一記号
(Ⅲ)名辞的指標的単一記号
(Ⅳ)命題的指標的単一記号
(Ⅴ)名辞的類似的法則記号
(Ⅵ)名辞的指標的法則記号
(Ⅶ)命題的指標的法則記号
(Ⅷ)名辞的象徴的法則記号
(Ⅸ)命題的象徴的法則記号
(Ⅹ)論証象徴的法則記号
・論証の三分法
・演繹:必然的演繹と蓋然的(確率の)演繹
・帰納:プープー論証、一般的予測の検証、無作為サンプルからの論証
・アブダクション:未来の行為を合理的に規制する見込みのある唯一のもの
・命題の種類
・特称的:現存の事実が解釈項により表象される
・全称的:実在の法則が解釈項により表象される
・仮言的命題は条件的か連言的か選言的かのいずれかである

【類似記号、指標記号、象徴記号】
・類似記号は、表意的な質が一次性であるような表意体である
・イメージ(例:炎と赤い色)
・ダイアグラム(例:人口の変化とグラフ)
・メタファー(例:暗い夜に輝く星とスター)
・観念を直接伝達する唯一の方法は類似記号である
・例:代数方程式、括弧、神聖文字、写真、デザイン、鉛筆の線等
・指標記号(セーム)は、表意的特性が個体的な二次性にある表意体である
・二次性が現存的であれば真正、関連であれば退化的である
・例:がに股、時計、ドアの音、雷鳴、風見鶏、北極星、指示代名詞、弾丸の穴、代数の文字、法律用語等
・類似記号と指標記号は何も主張しない
・象徴記号は、表意的特性が解釈項を規定する規則にある表意体である
・一般的意味をもつ象徴記号は真正である
・退化した象徴記号には単称的象徴記号と抽象的象徴記号がある
・例:動詞、合い言葉、バッジ、物理的な力、知的な働き、法則、富、発話等
・概念は象徴記号の部分である
・象徴記号は思考の直接対象である

【命題】
・命題的記号は、真か偽のいずれかである
・命題的記号は、真正の指標記号であってそれ以上のものではない
・命題的記号の解釈項は、記号以外の対象を表意することができない
・命題的記号の対象は、表意される現存的関係およびその実在の対象である
・命題は、すべて情報を伝える象徴記号である
・命題は、どれも主部と述部を含んでいる
・すべての命題が命題的記号の定義とその結論に従う
・名辞的記号は、解釈項が類似記号として表意するところの表意体である
・論証は、解釈項が象徴記号として表意するところの表意体である
・初めて人が出会う固有名は真正の指標記号であり、次に出会うときには人はそれをその類似記号と見なし、すっかりそれに慣れてしまうとそれは象徴記号になり、その解釈項は名づけられた個体の指標記号の類似記号として表意する
・主張の本質は、話し手が信じていることの証拠を聞き手に与えることにある
・主張には次の三つの部分がなければならない:
・強制の状況の記号
・強いられる観念の記号
・強制が話し手に働いていることをはっきり示す記号

【1908年、ウェルビー夫人あて手紙における記号の定義】
・一方ではある対象によって規定され、他方では人の心にあるある観念を規定し、そのためその規定作用がその対象によって間接的に規定されているようなもの、これが記号である。それゆえ、記号はその対象およびその解釈項と三項的な関係を持つ

やはり、論述の断片を集めたものはまとまりがなく、著者が何を言いたいのかよく分からない。困ったものだ。が、パースは、この「困った」がないと学は進展しないと言っているから、「困った」の将来は明るいのだ。

パースの思想
2016-08-01 Mon
2014年、岩波から発行された有馬道子『改訂版パースの思想』で、パースの考えを整理してみる。

パースの発見したカテゴリー(三項関係):
第一次性:質、記号(表意体)、アイコン(類像)
第二次性:存在、対象、インデックス(指標)
第三次性:法則、解釈項、シンボル(象徴)

パースの三項関係に基づく仮説的推論(アブダクション):
推論には、対象と記号とをつなぐ解釈項があり、記号の意味をになう解釈項はそれ自体が新しい記号となって、それと対象をつなぐもう一つの解釈項を生み、それはまた新しい記号となって更に次の解釈項を生んで、無限の記号過程(semiosis)が可能となり、記号と対象と解釈項という三項関係が無限に生ずる。

パースの連続主義(シネキズム)に基づく精神の法則:
精神の状態はつねにその直前の精神の状態と結びついて融合しているところが必ずある。そのため、現在は究極的には過去のすべての影響を受け、したがって過去のすべてと結びついており、また空間も連続性をなしているので、影響関係にあるすぐ近くの精神と精神の間には連続性があり、そのためにすべての精神は連続的に結びついている。物質と精神は連続しており、物質は強く習慣化した精神にすぎない。ことばはカオスとしての自然と連続している。生と死というようなはっきりと二分されていると思われるような現象もシネキズムによって連続している。死んだ肉体の意識がなくなると、生き生きとした霊的意識をそれまでもずっともっていたことにすぐ気づくことになる。シネキズムは宗教と科学を一つに結ぶ役割を果たすことになるだろう。

パースの記号論(semiotics):
対象はつねに記号化される。記号過程は三項関係を結ぶシネキズムによって成立している。世界は記号であり、人間も記号であり、あらゆる存在は記号である。「思弁的文法」によって記号が記号となる条件が決まり、「批判」によって記号は意図された対象の真の記号となり、「思弁的方法」によって心から心へと記号による意味を伝え、心に訴える象徴の力を形成する。

パースの偶然的宇宙論:
その昔、宇宙には特定の個人のものではない、他の何とも結びつかず、したがって存在をもたないような「感情」だけが不定の偶然としてあり、それが芽種となって一般化の傾向が生じ、次第に習慣化し、法則化してきており、そこにはなお偶然性がつねに含まれている。

パースの可謬性(fallibilism)による習慣獲得:
対象を可謬的にしかとらえることができないのが人間の本質であり、疑念が起これば常にそれを修正していく。偶然性の支配するカオス的動きを見せる原形質の流動体が規則性という必然性の支配する固体へ変化していくプロセスは、可謬性による習慣獲得性である。多様性が大きくなるのが偶然性の働き、均一性が大きくなるのは習慣性の働きである。

ソシュールの記号学(semiology):
・社会制度としてのラング(言語)と個々の発話としてのパロール(言)を区別する。
・ラングには共時態(一定時期の構造)と通時態(構造の時間的変化)がある。
・記号は心的存在である記号表現と記号内容を同時にもつ。
・記号の価値はその体系内に共存する他の記号との対立関係からのみ決定される。
・記号の体系は歴史的、社会的に決定される形相的なもので、固定的ではない。
・記号の構造には連辞関係と連合関係という二つの軸があり、そこに連想の力が働く。
・ラングの諸価値は連辞関係にあって多様な「意義」を生みだし、さらにパロールのディスクール(談話としてのことば)次第で多義的な「意味」になる。

ソシュールとパースの違い:
・ソシュールの記号論は記号表現と記号内容の二項関係であり、パースの記号論は記号(表意体)、対象、解釈項の三項関係である。
・ソシュールはコードとメッセージの静的な記号論であるのに対し、パースは常に記号内容がずれていく動的なセミオシスの記号論である。
・ソシュールの記号は恣意性で特徴づけられるが、パースの記号は実在的、自然的、経験的でありながら同時に社会的、論理的、約定的である。
・ソシュールの記号は社会的歴史的に決まる「体系」であるが、パースの記号は常に新陳代謝的に創造的進化をとげる「場」として位置づけられる。
・ソシュールのパロールのディスクールではラングを力動化された構造の中におくが、パースのアブダクションでは多様に変化しうる場と常に関係づけられる解釈をより具体的に与える。
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