場所的個としての覚者―人類進化の目標

場所的個としての覚者―人類進化の目標

霊的進化の階梯

 行に励んで、霊的に徐々に進化していくと、どのような精神的変革を経て、どのような体験をし、どんなことが分かるようになるのか、できるようになるのか。そういうことを何段階かのプロセスに分けて説明しています。例えば、ある程度までエゴ(自分と他人を区別する心)がなくなっていくと、神様が自己に流入してくる。すると初めのうちは意識を失ってしまうが、目が覚めてみると、色々なことが分かっている。そのうち神の流入が起きても意識を失わずに済むようになる、などということが書かれています。 本当に進化してくると、霊視とか透視などという次元を超えて、世界そのものが自分の内側にあるという認識に変化するようです。神からのお告げという神がかり的なレベルを超えて、直観的に真理を直接把握する能力に目覚めると言います。また、神様が入ってきたときだけ神様の働きができる人を神秘家と呼び、神様が入ってこなくても、神様と同じ意識で働ける人、つまり神様と同じものになってしまったを神人と呼び区別しています。
 低次の段階から高次の段階まで、まさに霊的進化の階梯が示されています。
 神秘体験の種々相Ⅱ→神秘体験の種々相Ⅰ→場所的個としての覚者の順で読むといいかなと個人的には思います。

以下、引用させていただきます。
P100
 さっき皆さんは昼食にサンドイッチを食べて、それがいま自分たちの腹の中で消化されているわけですが、その様子は自分ではわからないですね。このような、自然に人間が生かされている力、それはやはり神様の力だと思うのです。そういう力で生かされているのだから、くよくよしないで任せてしまえばいいのだけれでも、任せられないで、悩むわけです。いかにも自分で生きているよう思うのが、自分と他とを分ける心、つまり分別する心で、これを「無明の我」というわけです。そういうものをもっているから、山と自分とは違う、神様と自分とは違うというふうに、識別するようになってしまう。そういう識別する心がどんなに小さくて無明のものかというのは、神様が自分の中に入ってきて、自分が呼吸をしたり消化をしたりして生きているのを助けて支えてくださっているから人間は生きている、ということが分からないほどに小さくて無明なのです。それが分からなくて、自分だけで生きているように思っているところで、自分とあの人とは違う、と思うわけです。

P130
 だからそういう意味では、つまり人は皆元々は神様から出てきて、神様の働きで成り立っているのだから、そういうものに本当に目が覚めて、人間の枠をパッと破ったら、皆神様のところに還れるのです。それが破れないのは、やはり仏教流に言えば、我執に固まっているから、そしてその限りある自分を本当の自分だと思い込んでいるから、神様の働き、神様そのものが分からないし、人間という枠を破れないのですね。しかし、皆さんは元々神さまが現れ出てできているのだから、自分の殻を破りさえすれば、パッと皆が一つになれるのです。だからそういう意味では、人間というのは全く不思議なのものです。
 ところで、人間が、小さな、他と区別される自分を本当の自分と思い込んで、人間(個)の枠を破ることができないのはどうしてかと考えるのですが、それは、何百万年もの間、何百回も生まれ変わり死に変わりして、他と区別される自分というものを大事に大事にした自己愛がもとになって、我執に満ちたアストラルの身体を持ったりして、それが絶えず「自分」として、いかにも自分のように見えて動いているから、それに支配されて、その奥にあるものが汚いカーテンで見えないのですね。
 しかし、皆は本当は神様と同じものなのです。

P132
 (人と人が)完全に別々のものだったらこうやってお互いに話し合ったり、あるいは何も言わなくても相手の気持ちを理解し合うようなことはできない。見ても見えないし、聞いても聞こえないというのが、自分の中に落ち込んだ状態です。たとえば霊の世界で、自分の思いの中に落ち込んだ人を見ていると、周りのことは全然わからない、自分のある考えのことしかわからない。それでも祈りによって、あるいは神様からの働きかけによって、他のものと同調できたり、他のものと理解し合えるような元の状態にかえることができる。それがさらに進めば、神様の所に行けるようになるのです。
 そういう意味で、皆大いに自信をもって、自分はまだ神さまを実現していない、自分の中にある本当の自分を実現していないけれども、自分は神の現れなのだからと思って、皆のために、皆のためというよりは、神様がしていることを真似すればいいのです。神様というのは、宇宙をつくり、皆を支え、愛をもって皆が成り立つようにしているのです。神様は自分のために皆を生かし、自分のために皆を働かして、自分の為に何かをしているわけではない。皆が生きられるように、AはAとして生きられるように、BはBとして生きられるように働いていて、自分が生きるためにAを生かしたりBを生かしたりしてはいないのです。だから皆さんも、自分の為に何かをする、その方が自分にとって都合がいいからAのために何かをするというのではなくて、AはA,BはBとして生きられるように、Cを見たらCとして生きられるように働きかけて、自分ができる範囲で精一杯に、そしてその結果を求めないで毎日がもし過ごせたら、死ぬまでに必ず神様になれると思います。だから皆さんもそういうふうに超作をしてほしいと思います。
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