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練馬図書館の非常勤職員らが運営の民間委託に反対 ストライキに入る可能性

練馬図書館の非常勤職員らが運営の民間委託に反対 ストライキに入る可能性
2018年12月18日 07時02分 キャリコネ
記事まとめ
練馬区の図書館で運営の民営化をめぐり、非常勤職員らがストライキに入る可能性がある
練馬区では9か所がすでに民営化されており、残る3か所のうち2か所にも案が提示された
借りられやすい本ばかり選書され、中身がスカスカになることが危惧されている

練馬区立練馬図書館に勤務する非常勤の図書館専門員らが、ストライキに入る可能性が出てきた。12月18日までに区から納得のいく回答が得られなければ、19日と26日の8時30分から10時30分まで、図書館の業務を停止する。

騒動の発端になっているのは、練馬区が出した図書館民営化案だ。区では現在、12か所ある図書館のうち9か所で指定管理者制度を導入し、実質的な運営を民間企業に委託している。今年7月、区から専門員らに届いた連絡では残る3か所のうち2か所、石神井図書館と練馬図書館の運営を、それぞれ2020年、2023年から民間委託すると明かされたという。専門員らは、この民営化案に反対している。

区が提案する「学校図書館司書への配置替え」は「安易」と批判

図書館専門員は1988年、練馬区で独自に導入された制度で、資料の利用相談や選定など、図書館業務の中心を担う。区の直営図書館の職員は、常勤の職員を含め108人(今年4月1日時点)いるが、専門員はこのうち57人と半分以上を占める。

練馬区立図書館専門員労働組合の担当者によると、ストライキが予定されている練馬図書館では32人の専門員が勤務し、カウンターサービスを含め、全ての運営を担っているという。

専門員らは、指定管理者制度を導入すると図書館の運営に支障が出るとして、導入に反対。区から提案を受けた7月以降、複数に渡り団体交渉を重ねてきた。11月には区議会に対し、制度の導入撤回と、現在勤務する専門員全員の雇用を守ることを要請する陳情書を出している。12月4日時点では、1万5878件の署名も集まっている。

「練馬図書館でノウハウを蓄積した専門員が、中央館的な役割を担っている光が丘図書館に異動することで、現場を知る人によって図書館が運営される仕組みが作られてきました。区は、練馬図書館が民営化しても光が丘図書館があれば大丈夫だと主張していますが、私達の考えとは平行線を辿っています」(労働組合の担当者)

区は、練馬図書館に勤務する専門員を学校図書館に配置換えする提案を出しているが、労働組合の担当者は

「学校図書館と公共の図書館では、専門性も設置の目的も違います。同じ図書館というだけで配置換えするのは安易です。現在学校司書として働く人の職を奪うことにもなります」

と、提案を受け入れるつもりはない。

「民営化された場合、職員は、区の図書館全体の蔵書という視点で本を選べるのか」

専門員らは、長期的に見た図書館サービスの質の低下を危惧している。指定管理者制度では民間企業の運営期間に期限がある。期限後、業者の変更があった場合、前の業者と次の業者との間では、契約上、引き継ぎがされないという。区にも運営ノウハウが蓄積されず、「10年20年規模で考えると問題」だと指摘する。

また、「民営化された場合、職員が自分のいる館だけでなく、区の図書館全体の蔵書という視点を持って本を選べるか疑問」ともこぼす。民間企業は複数の自治体で図書館を運営するため、職員は自治体をまたいで異動する可能性が大きい。勤務先の図書館は、区全体の図書館の1つという意識で選書することは、「構造的に難しい」という。

「練馬区の図書館らしさ、地域とのつながりが失われ、パッと見た感じが良いイベントばかりになったり、借りられやすい本ばかり選書されたりする可能性もあります。目に見えてわかりやすいところだけ追い求め、中身がスカスカになってしまうというのが、私達が一番危惧しているところです」

これまで図書館を民営化した自治体でも、様々な問題が起きている。茨城県守谷市は今春、2016年度から民間に委託してきた市立図書館の運営を直営に戻す方針を明らかにした。第三者委員会が運営を調査した結果、人員体制や有資格者数、職員の選書・除籍業務の経験不足などから、民間委託のままでは充分な図書館サービスを提供できないと判断したためだ。市民からレファレンス力の低下を指摘されたほか、地域行政資料、外国語資料の受け入れ冊数低下も見られたという。

組合の担当者が聞いた話では、民間委託後、図書館職員らが選書会議をする時間がなくなったため、職員が個人的に決めて発注したり、取次に配本を頼んだりしている自治体もあるという。人件費削減のために、十分な経験を積んでいない職員をカウンターに配置し、利用者の不利益が生まれているケースもある。

「カウンターにいるスタッフに経験が浅い人が多すぎて、利用者の方が何か聞きたいとき、その人一人で相談が終わらず『上の者に聞いてきます』となってしまうため、『なかなか聞きづらい』という声は聞いています。利用者さんは、近くで聞けそうな職員に一度話を聞いて、手応えがあったらレファレンスに聞くというパターンが多いんですが、こうした運営状況だと、聞くこと自体を諦めてしまうようです」

担当者は今回のストライキについて、「本当はやりたくない。利用者のための図書館を作りたいのに、利用者の不便になることをしなければならないのは心苦しい」と胸の内を明かした。18日までに区側と妥結点を見いだせるよう、最後まで努力したいとも話していた。

25,000年前、闇の勢力は地球を隔離状態にして、人類を人質にしました。

25,000年前、闇の勢力は地球を隔離状態にして、人類を人質にしました。彼らは仮想現実のコントロールシステムを創り、誰も逃げられないようにしました。彼らは、ソースと繋がっている光の存在たちを閉じ込めて、この仮想現実を創造し続けてきたのです。
この仮想現実のコントロールシステムはまだある程度機能しており、普通はマトリックスと呼ばれているものです。物質界において、そのコントロールは、オリオン―バビロニアタイプの負債に基づいた金融奴隷制度、マスメディア、マインドプログラミングを通して維持されています。エーテル界、アストラル界、メンタル界では、電磁的時空歪曲チェンバーで維持されており、フィラデルフィア実験でも類似したものが使われました。これらのチェンバーは、永久不滅に見えるような閉ループ系の幻想を創り出しています。このため、自由になった人、解放された人、エンライトメントした人が、これまでほとんどいなかったのです。
そのマトリックスは、アルコン(ギリシャ語の支配者)と呼ばれている存在たちに運営されています。彼らは、アンドロメダ銀河からやって来て、闇を経験することを選んだ存在です。彼らはソースと再び結びつくことを拒否しました。数千年間、彼らは遺伝子工学を用いてドラコニアンとレプタリアンを創り出し、自分たちの闇の帝国を広げるために、奴隷戦士として利用しました。
惑星地球は、解放されるべき、この闇の帝国の最後の惑星です。アルコンは地球上にほんの僅かしか残っていません。
エーテル界とアストラル界では、アルコンらはカルマの主として知られています。彼らが、転生後の人生経路の大部分を決める者たちです。彼らが私たちの両親を選び、ある程度人生の境遇を決定づけます。このプログラミングシステムは、カルマとして知られています。彼らはアストラル界で高度な波形生成テクノロジーを使って、アストラルの地球エネルギーの流れを操り、そのエネルギーを占星術的な悪影響を及ぼすために用いています。彼らは歪曲された時空構造をインプラントで維持しています。インプラントは時空のブラックホール異常を生じさせ、人間のマインドと感情を混乱させます。インプラントはプログラム可能なクリスタルで、強力な電子装置を用いることで、地上のすべての人のメンタル体、アストラル体、エーテル体に埋め込まれています。
(訳注:現在のインプラントはブラックホールよりも弱い「裸の特異点」になっています)
エーテル界及び低層のアストラル界では、ドラコニアンの管理人らが、マトリックスを構築し続けている人工知能技術を維持しています。それは警告システムです。もしも目覚めた存在が、自分の光でそのマトリックスに穴を開けると、ドラコニアンはレプタリアンの奴隷戦士を送り、その目覚めた存在の心理的弱点に圧力を加え、その存在の波動を低下させます。こうして穴は閉じられるのです。また、レプタリアン奴隷戦士たちも、転生した人間のマインドと感情に絶えず圧力をかけて、スピリチュアルな成長を妨げたり、自由への闘争心を抑圧したりします。それでも十分でない場合、彼らはアメーバのようなエレメンタル存在を送り、さらに圧力をかけます。それらのすべてのネガティブ存在は、通常、アストラル界及びエーテル界の、歪曲時空構造のひだの中に隠れています。
彼らの力は恐怖の中に、そして隠された意図の中にあります。彼らは、光、真実と勇気に直面するとすべての力を失います。もし私たちが恐怖心なしにこのすべてを知っていれば、私たちの意識の光が、時空構造のそれらのひだを真っ直ぐにし、そのようなネガティブ存在は、惑星地球のアストラル界及びエーテル界からすべて排除されるでしょう。

「こだわり人物伝 小津安二郎特集(全4回)。題して「小津安二郎は落語だ!」

だから小津さんは偉い!
現在教育テレビで放送されている「こだわり人物伝」は小津安二郎特集(全4回)。題して「小津安二郎は落語だ!」。

この黒澤明や成瀬巳喜男と並ぶ日本が世界に誇る名監督については、これまでも散々論じられてきたし、研究・評論本の類も多いわけですが、落語の文脈で小津映画の魅力を紐解いていこうという今回の切り口はなかなか新鮮で楽しめます(語り手も若手の落語家さん)。「小津は落語で、黒澤は講談だ」。なるほど。

極端なローアングルや徹底したバストショットなど、小津調と呼ばれるその特徴は挙げたらきりがないほどで、それが小津作品を論ずる動機にもつながっているわけですが、その小津調のひとつに、あの徹底して感情を抑えたセリフの棒読みがあります。前回(第2回)の放送では、その理由を「感情をあえて表に出さないことによって、観る者に自由に想像させる」というような説明を加えていました。

いやいや、それは違うでしょ。結果的にそうなったかもしませんが、小津安二郎という映画監督をなめてはいけません。凡百の監督ならなだしも、小津さんはそんなことこれぽっちも考えていないはずだからです。小津さんは何も考えていない。小津映画は、そのような映画の教科書の上ではまったく意味のない――つまりそうしたからといって傑作になるという根拠など何もない――ただしたいからそうするという、いわば監督の「クセ」の集積です。

わたしの個人的な見解としては、小津さんは映画をひとつの音楽のようにとらえていて(これは先の番組でも指摘されていました)、役者の発する言葉の一つ一つを、意味のある表現と言うよりも、楽譜の音符のようにとらえていたのではないか。極端な話、映画の最初から最後まで、登場人物はすべて同じ一定のテンポで言葉を発しているのではないか。もしそうであれば、役者が勝手にアドリブでしゃべったり、感情を込めたりすることは、小津の作った楽曲を勝手に編曲してしまうことになりかねない。

繰り返し言うように、こんなことをしたからといって、映画が傑作になる理由はどこにもありません。しかし、最初のカットから最後のカットまで、監督の掲げた無数の掟によって映画が厳格に律せられるとき、そこにはそれまで、そして今日まで誰も成し遂げたことのない映像のマジックが生まれたのです。

闇の者たち(裁き)

これまで人類を導き、宗教を作ってきた者たちのほとんどは、人格的障害者と言ってよいような者ばかりでした。人々は彼らの肉体的・表面的なレベルの見せ掛けの徳の高さにだまされ、誤った教えについて疑問をもつことがなかったのです。これらの輩は、過去に犯した多くの過ちによって、幽体もしくは原因体がすでに人間の形を取れなくなってしまった者たちも多かったのです。この者たちの中には苦行・瞑想の努力によって、解脱に至る者まであらわれましたが、心を浄化することはなく、三昧(サマディー)からもどると、カルマ(業)で汚れた幽体・原因体による苦から逃れることは出来なかったのです。

すなわち身体意識を離れた三昧(サマディー)でだけ、苦から逃れることが出来たのです。それは、彼らが心を浄化することを怠り、瞑想により、解脱のみを求めたことと無縁ではありません。解脱は、肉体への生まれかわりからの離脱を可能にしますが、心を清めないかぎり苦から逃れる術はありません。ところが愚かにも、この者たちは解脱を得た者は完全に清らかであり、もはやいかなる罪も解脱者には影を落とすことすら有り得ないという信じがたい妄想に取り付かれたのです。要するに解脱者は、神をも越える完全な者であり、何をしても実は何もしていないのと同様で、いかなる罪悪も解脱者には無縁であると本気で思うほど愚かでした。この愚かさが、さらなるカルマを彼らが生み出す元となり、現実に身体がすべて滅び去る、いわゆる彼らの目標とする究極の解脱こそが、真の意味で救いとなってしまったのです。

彼らは、身体を不浄とし、自己(アートマン)のみを真実としたために、かえって身体、そして心を浄化することを軽んじてしまったのです。心の浄化を軽んじ、解脱のみが目標となれば、性欲は大敵となります。実に性を正しく導くことこそが、心を浄化するただひとつの方法であるにもかかわらずです。
これらの愚か者たちは宗教を創始し、人々に性が罪悪であることを植え付けました。彼ら自身が性を否定することで自らの心の浄化を否定したのみならず、人類にいわば暗黙に強制したのです。性を否定すれば野心が育ちます。
彼らの全員が、暴力的で権力欲の塊のような者たちであったのは、このためです。

宗教は地球をメチャメチャにしてしまいました。宗教で教えることは性の否定・禁欲であるか、または神殿での売春かのいずれかになってしまいました。神殿売春を神聖なことであると教える悪霊か、完全な禁欲が人生の究極の目標に不可欠であると教えるハイアラーキーかのいずれかを人類は選ばなければならなくなってしまったのです。そしてこのどちらもが誤りなのです。真の幸福は性の成熟と不可分に結びついています。夫婦の愛こそが、すべての愛の基本なのです。宗教は真理を、くだらない神話と教義で覆い隠してしまいました。

(竹下 雅敏)

脚本家 橋本忍さん死去 「羅生門」「七人の侍」手がける

脚本家 橋本忍さん死去 「羅生門」「七人の侍」手がける
2018年7月20日 6時50分

戦後の日本映画を代表する脚本家で、「羅生門」や「七人の侍」など数々の名作を手がけた橋本忍さんが亡くなりました。100歳でした。

橋本忍さんは大正7年、兵庫県に生まれ、肺結核にかかって闘病生活を送る中、映画のシナリオに興味を持ち、伊丹万作監督のもとで映画の脚本を学びました。

デビュー作は黒澤明監督と共同で執筆した「羅生門」で、昭和25年に公開されたあと翌年のベネチア国際映画祭で日本映画としては初めて最優秀賞の金獅子賞を受賞しました。

その後も、海外の映画祭で賞を受賞した「生きる」や「七人の侍」など数々の黒沢作品の脚本を手がけ、脚本家としての地位を確立していきました。

また、「砂の器」など作家・松本清張さんの作品の映画化や、岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」、森谷司郎監督の「日本沈没」「八甲田山」など映画史に残る作品を手がけ、日本映画の黄金期を築きました。

一方、映画監督としても活躍し、自身が脚本も手がけた昭和34年の「私は貝になりたい」は無実の罪で戦犯に仕立てられた善良な散髪屋の半生を描き、大きな反響を呼びました。

平成3年には勲四等旭日小綬章を受章し、平成12年にはシナリオなどの資料を集めた橋本忍記念館が、出身地の兵庫県市川町に開館しました。

橋本さんは90歳をすぎてからも現役の脚本家として活躍し、平成24年ごろ脳梗塞を発症したあと、自宅で療養を続けていましたが、関係者によりますと、肺炎のため19日東京都内の自宅で亡くなりました。
プロフィール

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